mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

弓構えについて

弓構えの時、実は一番気持ちが動く時です。小笠原流独特の教えに「澄まし」と有りますが、気持ちを平穏に保つ事の難しさは弓構えの時に増します。

前回の射を無意識に引きずり日頃の射について気にしている事が頭をよぎってしまう。特に取り懸ける時、手の内を整える時に記憶や結果が気持ちを左右してしまうものです。

気分を例えると、短距離走のスタート位置に着いた時、人前で話す時などに次は自分だと順番が迫り来る時の高揚に似ているかもしれません。

本座に控えた時に気持ちの整理を付けて集中が上手く出来ていたとしても、自然と頭に色々浮かんでいると思って下さい。しかも経験値が上がって知識も豊富になるほど頭に浮かぶ事も増えていくと自覚する方が無難でしょう。

若い時は取り敢えず打ち起こして引き分け以降の会や離れで色々する傾向が有りますが、経験を重ねる毎に次はこうしたら?と考える様になって行きます。これは仕方の無い事でむしろ当然でしょう。無心に引く事は真面目に弓道と向き合う姿勢が邪魔をします。

何もわからず無我夢中で引いている時の無心は過去のものとなって行き、自分の射を受け入れる事で気持ちの整理付ける段階へと入っていきます。

射は立禅などという言葉も聞きますが、座禅を組む時の心持ちと似ているかもしれません。私が聞いた話では、「座禅の時に目を瞑り何も考えないで無心に座るという感じに考える人も多いですが、実際は目もつぶる事への拘りも得には無く、心に浮かぶ雑念も振り払うというよりもむしろ全てを自然に任せて受け入れる事で心の平静を保つと良い」という事らしいですね。

弓道でいう無心も実は現在の自分の射を素直に受け入れる事で近づくと考えても良いでしょう。「ここが駄目、こうしなきゃああしなきゃ」と思う負の思考が無心を遠ざけてしまうと思っています。

射位に行く前に自分の今の段階を受け入れて、現在の最善な一本を出せる事が無心です。思いを断ち切る無心から素直に受け入れる無心に変わりたいと思っています。

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