mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

大離れ

 運動の力学から見ると、離れでの右肘の開き角度は120度位が良いらしいです。(自分にとっては都合の良い)残身は両肘を意識して的に開かない、または意識して胸の開きを使わない時の弓力から解放された胸や腕の自然な開きに従う。この辺りは賛同してもらえるでしょうか?
 的と裏的方向への気持ちの集中が有れば、背中側に肘を開いたり、自ら胸を開いたりする離れは意識する必要は無いし、ある程度強い弓を引くようになれば意図的な動作は試みると不自然に遅れると思っています。その上に、動作を起こす準備をした途端に腕や手先に力が入ってしまい離れが不安定になってしまう。その結果として浮いて離れていると感じたり、弛んで離れていると感じたりしてしまう。その後そう感じてしまうと、浮かない様に或いは弛まない様に会を固める方向に体を使ってしまうため、尚更に会の状態を破って離す結果の悪循環に知らず知らず陥ってしまう。このような経験を思った方は居ないでしょうか?初心の頃はこうして会を会として固める事で安定を図ろうとしていたのでは?と思い返しています。
 ここで、会での両肘の位置の違いに目を向けたいと思います。多くの人は満足した会が出来たか出来ていないかに関わらず、右肘は両肩の延長線上に近い所に納まっているでしょう。では左肘はどうかと言うと、両肩の延長上より前に有ります。胸弦と頬付けをきちんとしても前でしょう。そうすると、離れでは左肘は右肘よりも開かれる残身が自然で、左右均等とは言っても、残身への動きは左肘と同じ分だけ同時に右肘も動く事は無いと考えています。ざっくりと言うならば、右手首の飛びと左肘の開きが呼応する離れが自然ではないでしょうか?両肘は肩線で弽の弦枕は矢筋の延長線上にあるというのが、良い残身の姿と考えるようになっています。そこで120度に戻ります。真一文字の両腕の残身をむやみに否定は出来ませんが、弦枕を肩線まで開くと最後の部分(120度から先)は何かしら意識的な腕の開きを感じています。会で右肘を固めずに一文字の大離れを目指して挫折した言い訳ですが、実際どうなんでしょうか?流行り、廃りで片づけない様に考えて行こうと思っているのが今年の課題です(^^;)

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