弓道は神棚に対面して左を向いて引く
弓道は押手が目に映る事と、左を向いて弓を引くので左右均等が崩れやすくなってしまうと感じているのですがどうでしょうか・・・。
勝手で引くし、勝手は曲げている為に力を入れやすいから逆に押手へ意識を置いてちょうど均等が取れる。と考える人も多い様に感じています。射法訓の解釈にしてもこういう風に言う人を何人か知っているものの、私は一概にそうは思っていません。
実は押手を力んで固めて弓を引いている様に見受けられる人も多いのではないでしょうか。そうすると確かに勝手引きとなるので、押手に意識を置いてと言うのも理解出来る様な気もしますが、問題はじゃあ押手に意識を置いてどうするか?で全く違う道に入ってしまうと考えています。
固めて引いている所になお意識を足してしまう事にならないか?良く検討したいものです。
腕も足も肘や膝の関節を伸ばして支えると力を入れずにすむというのも、骨で射るになり得るでしょう。
ところで、「離れは勝手が気になるが引き分けや会までは押手が気になる」なんて当たり前の様に考えてしまっている時は無いですか?引き分けや会が押手主導ならば当然離れも押手主導が自然だろうと考えてみましょう。ここで起こる意識の矛盾から左右均等の概念が生まれ大事にされているのかもしれません。勝手の取り懸けや右肘の納まり、或いは勝手の肩や肩甲骨などを詰合いの時に意識しても手遅れとなりかねないですね。常に前提は左右均等が先に有ると言えるでしょう。
決定的に問題が有ると思っている事を言うと、引き分けや!会で伸びる時、詰め合う時、下筋を意識する時に手首を使っては良くないと言う事です。