2022年3月のブログ記事
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そもそも引き分けの延長が会と教えられます。「無限の引き分け」と称される時も多いですが、今回は無限の引き分けが引き離しにならないか?について考えてみましょう。 早気なる理由にも関係すると思っているのですが、「ここが会だ」と引き下ろしてくるのも問題ですが、左右均等を思うあまり会の位置が安定して無い事も... 続きをみる
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多々異論が出るかもしれませんが、射法や射技の教本は理想像や最終的目標などに触れている物が多く、初歩的な段階から目指すには荷が重い記述が目につきます。私自身も経験しましたが体配について言えば、出来映えはともかく覚えれば済みますが、「射法訓?」「弓を射ずして骨を射る?」「真善美?」「縦に伸びる?」等々... 続きをみる
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右手で引くので、手の内が上手くいかないで押手の肩が抜けたり入れすぎたりしますが、それが順調な出発だと理解して下さい。たぶん左利きだとしても始めの間は弦を引く右手が強くなるでしょう。そうでなければ左手にも力を込めているかですが、左右のバランスを取る事はある意味本能的で、片方の腕にだけ力を入れる事の方... 続きをみる
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射法訓の前文から 「押し引き自在の活力を有する弓箭」 「押し引き自在」だけではなく、「押し引き自在の活力を有する」の差を感じてみましょう。弓を「自在に引く」ニュアンスではなく、「弓力」が押し引き自在なのです。弓力を生かすのは引き方次第とも捉えられます。 「的は不動にして不惑」は言葉の通りに動くのは... 続きをみる
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「捧げる」時には弓矢と神棚に敬意を持った動作と言えます。射法に肘は張らないとされている事を度々挙げてきましたが、礼射系の体配の面からは頷けると思っています。座射で弓を立て甲矢を番えて乙矢を持って立つ時には、一般的なイメージで肘を張ると少し窮屈に思われますがどうでしょう?。力みを取るなら肘の内側は手... 続きをみる