弓箭を用いる弓道について
射法訓の前文から
「押し引き自在の活力を有する弓箭」
「押し引き自在」だけではなく、「押し引き自在の活力を有する」の差を感じてみましょう。弓を「自在に引く」ニュアンスではなく、「弓力」が押し引き自在なのです。弓力を生かすのは引き方次第とも捉えられます。
「的は不動にして不惑」は言葉の通りに動くのは人で惑うのも人となります。
弓箭は「無心にして無邪」の部分では、弓と矢は力は有っても無心で邪念が無い物となります。
つまりは本来持つ感情で人は邪念を持ったり惑うという事で、始めは矢所も定まらないのが普通です。
「的は不動不惑で弓矢は無心無邪」として区別した意図を少し想像してみます。逆になると「的は無心無邪」「弓矢を不動不惑」としても大差無いと思われますが・・・。どこかの大学の部旗に「思無邪」という物が有りましたが、邪念無く思うと捉えています。人は思う事を止めることは出来ません。感情も無くすわけにはいかないでしょう。どういう感情を持つか?何を思うか?に置き換えられると思われます。「不動心」にしても心が動かなければ生きてないと言った先輩が居ました。結局の所「素直さと柔軟性」が要点だと思っています。
相手がどうのではなく最終的に自分磨きを主として修練すると捉えれいれば正しい品格が得られるでしょう。正しい品格が有れば弓矢を持って良いとなり、礼記にも通じる事と出来ます。