単純明に区別すると、手の内を縦に窄める様に引き分けられたら、親指が伸びて角見が効くように見えて、逆に綿所が押されて親指の付け根を押し上げられると弓力に負けたベタ押しに見えてしまうでしょう。この「見えてしまう」という周りへの見え方が実は練習では邪魔になります。ですが、修正は見た目より効きが優先です。... 続きをみる
2024年4月のブログ記事
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違うと考えています。朝中っても(正鵠を射抜けても)夕方に中たるとは限らないのに、日付けまで変われば更に中たりは取り辛くなりそうです。 「今日の中たり」が最善の中たりです。昨日こうしたら中たったは既に過去で、ましてや「あの時は」まで遡ると流石に難しいでしょう。常に良くしようと練習しているにも関わらず... 続きをみる
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「あまり引かない」か「全く引かない」が良いと思います。的中がままならない人ほどきりが無いです。皆中した時に止めるなど止め時を気にしたりしても、そううまくいきません。少しでも中たる様に練習する事は当然です。努力をしない方が良いとはなりません。チームの一員なら尚更責任も有るでしょう。 ここで良いを待つ... 続きをみる
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内圧は掌の皮が弓の右回転(真上から見て時計回り)に依って捻られる事で弦を押し出す力を生むと前提します。掌の皮に有るゆとりにも当然限界が有るので、その限界を超えると手の内の形を保つのが苦しくなるでしょう。私はこれも早気の一因と思っています。皮のゆとりは大きくは無いものの、その範囲も掌が力まなければ少... 続きをみる
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引き分けは押し開いて、しかも引き分けは無限の引き分けとされてます。 左右均等の引き分けですが、打ち起こしから大三への受け渡しは「押し開く」つまり押手先導です。 押手先導を普通に引けば右手が強くなるので、左手中心にしてバランスが取れると捉えるのか?それともそのまま押手先導と捉えるのか?少し考えてイメ... 続きをみる
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射格だと思います。品格や冴えなどという曖昧な物です。元々禮記射技の意図は人格の判断材料として弓を引かせていたという事です。つまり人格が射に現れるという本当に曖昧な概念に思えますが、最後に行き着く所はそういう場所になります。 したがって、人間形成の為に弓を引くと言っても言い過ぎではありません。 勿論... 続きをみる
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八節の進行を「ぎゅっと」せずに「すっと」移る感覚を持ち続けられる様に練習する事で少しずつ楽にできると思えます。ただのイメージですが、引き分けのイメージは射の雰囲気に大きく影響すると考えています。すっと引く事で息との関係は理解し易くなると思われるのですがどうでしょう。「大きく引く」と「矢束いっぱいに... 続きをみる
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「懸け口十文字」については教本一巻でも記載されています。「取り懸け」では、右手の前膊と弦を直角の角度であって、手首が曲がらないように注意しなければならない。 ~弓道教本一巻 弓構えの項より~ 会の五重十文字では弦と直角になるのは親指(弽の帽子)ですね。取懸けで自分から見て弦と親指を直角にすると必然... 続きをみる
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今まで良い離れを出そうと画策する人が私の周りに多く居ましたが、それが可能かどうかを考えてみようという事が今回の主旨です。 ひとまず「離れや残身」を意図的に変える事が射法に則しているか?考えてみてください。仮に昇段審査の学科問題で同じ様に問われたとしたら、「離れや残身は引き分けの結果」という方向で答... 続きをみる