mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

弓道で感性の必要性について

「感覚いわゆる五感」と「感性」を前回に続いて弓道の面からもう少し考えてみようと思っています。

まず感覚です。「しっくりしている」という事。「握りが手にしっくりする」という感覚は自分の弓という面では大切ですね。握り皮を選んだり、中の枕を色々変えたりして手に馴染む様に考えます。これは当然ですが、その反面「自分の弓でないと上手く引けない」となってしまうと個人的には問題が有ると思っています。ずっと以前にお話ししましたが、自分の大学の先輩が久しぶり(引退して四年以上後)に道場ヘ訪ねて来た時のエピソードです。私と重なっていないので明らかに4代以上は離れているでしょう。大学の部活なので先輩には逆らえません。「引退して引いてないけど久しぶりに引かせてくれる?」と言われ、その辺にある弦の張ってある弓を2〜3回肩入れしてから、どれか使って良い弽は無いかなと言われ私が差し出し、矢立ての適当な長さの矢を二手持ち、じゃ一立ちさせてもらうねと言われ、しれっと皆中して、ありがとうと言われスッと帰られました。言葉もろくに交わさないあっと言う間の時間でしたが、強烈に覚えています。後から分かりましたが、私の四代前の主将の方だった様です。この時に先輩の皆中を目にしたあたりから、道具を選ばない引き手への憧れを持ち始めたという話です。

格好良く言うと、突然の敵襲でも近くに有る弓でぱっと引いて倒せなければ生き残れないという昔の事情を想像したという事ですね。現在の弓は敵との直面対決は無いです。したがって、自分の弓や弽、矢で事前準備をしっかりして射位に立つ事は当然です。ただ個人的には、本来は道具を選ばないで、有る道具に合わせた引き方ができる事にも大きな魅力を感じるという事です。

「弘法は筆を選ばず」ですね。

これも感性の範疇だと考えられるでしょう。捉え方は難しいですが、道具で的中を伸ばすなら、アーチェリーが断然有利です。的中至上主義はいけないという意味合いは教本に出てきますが、学生時代は理解し難い事でした。「中てようとして何がいけないの?」という感じです。弓道だけで無く、何かを選択してもほとんどの場合には結果が出るのが後になります。選択した時に正しいかは分かりません。したがって今思う最善を選択する事になります。その為には大局的な視野が必要でしょう。故に感性が大切になるのでは?と思っています。特に時間が限られている時の選択には感性が必要です。周りから受ける感覚を経験に変えて、生かす事を考える習慣の積み重ねで、時間を有効に活用出来るでしょう。日々の練習が短い時間でもより多く効果を上げる為には「考える」事が必要です。確かに同じ事を繰り返し行えばそれはそれで一定の成果は出せると思いますが、より高みを目指したいなら感性を磨く様な意識は大切だと考えています。引いては考え、考えては引く事は皆さん普通にしていると思われます。がしかし、常に同じ考え方で同じ引き方だという事も起こりうると思っています。想像力を豊かにして感覚から感性を磨いてみてはどうでしょう。勘が良いと表現される場合の多くは感覚より感性が鋭いと思っています。空気が読める読めないも感性と考えられるでしょう。

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