mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

離れの力量

例えば便宜上弓力を100と仮定して話を進めていきます。

引き分けの進行と比例して弓力は変化しますが、その瞬間毎にそれぞれの力量を100としてまずは考えてみるとします。今までの流れから言うと離れの瞬間に弓力が100として弓力が段階的に増す事に合わせていく方向で進めてきました。意味合いは同じですが目線を少し変えてみます。

弓力が100の時に対して引き手の意識が100+αと考えるかどうかというのが焦点です。常に弓力+αで引き分けが進行するとします。つまりは離れの時点でも+αという事です。実際に射法訓や禮記射技などの基本と照らし合わせてみたらこの+αが合致していると考えられるでしょうか?

弓力100に+αとした離れならばこの+αが何か?です。浮かぶ物として、例えば角見・息・気合などが考えられるでしょう。基本と照らし合わせて考えてみると精神的な物が挙げられてくるのも頷けます。

では平常心や無心などを思い浮かべてみた場合はどうでしょうか?

意識しない離れに何かを足すという事には個人的に少し矛盾があります。

では弓力が消えた残身(心)の時ならどうでしょう。逆に引き手の意識が無くなってる事には抵抗があります。

大元の流れから言うと、射位に上がる前からは場を掌握して、行射は無我無心に引いた後残身(心)から平常に戻り、息合いを意識して退場していくという流れです。

現況で精神的身体的に+αという引き方の人が多く居ると考えています。

鍛錬の現状をみて現実的にはこの+αという考え方が必要だと言えるかもしれません。

ただ+αの程度差には引き手それぞれにばらつきが有るでしょう。いわゆる余分な力みの「余分」の程度差です。

本題に戻ると、離れの力量は引く矢束の段階では弓力+αが標準的で、熟達していけば全てが弓力に均等となっていくと考えられるかもしれません。押手先導や勝手引きなどの差を色んな角度から行射を考えてみても、全体の力量は弓力が基準と考えています。したがって弓力の差があっても同じ引き手が射を行うと基本的には同じ意識を持った中で引く事になりそうです。「練習は試合で使う弓力よりも1キロ程度上げると良い」と聞いた事も有りますが、実際には現状で引き分け出来る弓を常に引いた方が良いと思っています。

この事に付け加えるとすれば、自分の弓、自分の中たりは簡単に変えない様に考えて鍛錬すべきという事です。自分の感覚を磨いて感性を研いで最後は自分を信じて引く事です。この自分を信じる事は離れの意識の中で最も大切にしたいと考えています。常に向上心を持って練習する事は大切ですが、弓力を変える時にしても基本的には自分の中たりを見失わない様に慎重になって欲しいと思っています。

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