mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

離れを考える時に使う言葉

他の引き手と離れについて話す時に使う言葉を良し悪しに関係なく挙げてみます。

大局的には、

満を持す、精神の開放、上下左右への伸び、大地を踏ん張り天に伸びるなどなどとても難しい面が浮かびます。射法編などでもすっと理解出来る言葉の方が少ないと思います。

少し身近な表現を使うと、

離れの時もしっかり床に足を付ける。浮き足立たないように下半身にも意識を置くという感じでしょうか。なお、固さが取れた残身(心)を目指すとなるでしょう。

残身(心)の両拳は肩線の延長か矢筋線上かで離れのイメージは変わってきます。弦を張った弓の弦を切った時の裏反りがイメージとして描かれている図を目にした事が有りますが、そうなると残身(心)の両拳は肩線よりも背中側の感覚です。

私がよく使う言葉は「刹那的にぱっと離さない」です。弦が出た瞬間に離れが終わりでは無く、拳が止まるまでを離れとして考えたいみたいなニュアンスですが、もう少し深く言うと、外見上は一瞬ですが、頭の中のイメージとしては、始動から終動までスローモーションの様に意識出来る様な感覚です。離れを自分なりに煮詰めていくと、瞬間的に終わる印象は無くなるでしょう。しかし外見上は自分が感じるよりも速く見えている。この意識は私が大切にする感覚です。ずっと以前に書いた事ですが、高校時代に顧問の先生がビデオ撮影してくれた時の自分の離れのイメージで意識の中と外見でギャップを感じた経験があります。思う以上に自分の離れが速く見えたという事です。17キロ程度の弓力しか無かったですが、鋭くしようと思わなくても充分速いと感じられた経験です。先輩達を見て個人的に鋭い離れに憧れていた時期での事です。自分の動作がゆっくり感じられる瞬間は良い結果が生まれると今でも思っています。あっと言う間に終わってしまった時の行射は経験上悪い方に行きがちになると思っています。私は弓道よりも野球とソフトボールの経験が長いですが、今までに少ないながらもボールが止まって見えた経験がバッターボックスで有ります。ドンピシャのタイミングで玉をとらえると、本当に玉の重さなど感じられないという事が感じられます。スイングもスムーズで、打球の軌道もスローモーションの様にはっきり見えている感覚です。残念ながらいつもそうはいかず、ほとんど打球の行方を探す事が多かったですが、そういう時の結果は悪いです。一流のプロ野球選手が「玉が止まって見える」という言葉はすんなり受け入れています。これは守備でも同じです。

本題に戻ると、調子が良い時程時間の流れはゆっくり感じられるという事は確かに有ると考えています。ぱっと瞬間的に離さないという事は離れを語る上で重要だと思います。伝えにくいですが少し意識の中に置いて欲しいと思っています。

したがって、拳が背中側に残る残身(心)を執る様な離れは瞬間的だと思います。タイミングが合う合わないに的中が左右されそうで私は選択しません。矢筋で充分です。残念ながら私は肩線ですが・・・。どこが正解なのでしょうか?

射法八節の図のモデルである中野範士の残身(心)は同じ三つ弽として参考にしたいと思っていますが、本座から見た時はどうなんだと思っています。脇正面から見た残身(心)のイメージで練習する事は多いかもしれませんが、実際には打ち起こしから残身(心)までを裏的側から考察する方が難題が多く出ると思っています。矢の向き、重心の位置、肘の軌道などは特にそう思います。審査練習などでは私自身も脇正面中心でしたが、結局の所射自体の進歩の為には三次元の目が必要だと考えられるでしょう。教本などでも写真の捉え方は難しいと感じています。

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