mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

そろそろ手の内も

まず方向を二つに分けてみます。手の内が中たりを取る為に重要である事の程度が高いと考えるか、逆に手の内についての基本的な事をクリアすれば全体から見るとそこまで的中に直結するものでも無いと考えるの二つです。ここでの考え方は射法というよりも射技に与える影響が大きく、練習の仕方も変わるかもしれません。皆さんはどう思いますか?

高校生など学生弓道と接している時には、手の内を習いながらも高的中を考えて練習している生徒が大半かもしれません。

手の内十年とか聞き覚えがあります。高校、大学と引き続けたとしても、実質は十年の半分程度五年位の経験でしょう。ならば手の内に必要な期間とは考えにくいです。ある程度(最低限)出来ていれば的中自体は取れるという風に考える事は可能です。では高校生に限定してみた時はどうでしょう。とても充分な時間が有るとは考えにくいです。しかし、的中が良い生徒をたくさん見ています。

手の内が重要では無いとは思っていません。しかし、手の内には的中だけでは無く、射の冴えや会の充実など一歩進んだ弓を引く為に必要だとも考えられるでしょう。弦音、弓返り、身体の伸びなどに貢献する要素の一つだと言う側面が有ります。試合での的中自体は矢飛び、弦音、弓返りなどの結果は必要無く、的に入れば全て中たりです。つまり丸を得るための時間では無く、ある程度納得できる手の内に掛かる時間が十年以上必要だと考える方が正解と言えるのかもしれません。こういう事から、中たりを取りながら矢勢や弓返りや射の冴えなどのより良い中たりを求めて練習を続けると考えられるでしょう。

手の内至上主義や角見至上主義にならないできちんと引く事が要求されると始めは考えると良いかもしれません。最低限守るべき基本を押さえつつ、より良い物や自分に合う物を追求していく事で充分です。学生さんや初心者に中たりを求めるなと言うのは酷です。納得できる中たりは簡単には得られないでしょう。早い時期から矢勢や弓返りを求める事はやめて、身体に素直な引き方を学ぶと良いでしょう。

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