競技としての弓道と武道としての弓道
私にとって「射は立禅」は難しく、どちらかと言えば「いくら一生懸命綺麗に引いても中らないと面白くない」という方がしっくりきます。最近は「中たらなくても気持ち良く引けた」という感覚にもあまり出会えません。禅は解らなくても気持ちの影響が中たり外れには大きいんじゃないかとは思っています。
プラス思考が良いという事は皆さん頭に有ると思います。漠然と頭に有ってもいつだすのか?に迷い、他の感情の方が強く出ている時にプラス思考は前面に出ません。始めはわざとでもフリで構わないので、人目をしっかりと意識して周りの状況にも気を配ってから自分が今するべき事を考える訓練をしましょう。大袈裟に言うとプラス思考は自己分析です。取り敢えず前向きに考える事ではなくて、「冷静さ」です。
緊張し息が上がって浮足立った所から平静に戻ります。これがたぶん武道の基本となる自然体と言えるでしょう。
仮に「立禅」と言ってもお寺で座禅を組めば的中する様になるとは言えません。射位で日頃の自分を取り戻すといつもの通り中たるでしょう。その上でもっと良い結果(ここ一番)を出す時になって、一般的なイメージのプラス思考に頼ると良いでしょう。
的を矢が外れる理由はたぶん自己満足が主体で経験に依る思い込みが大きいでしょう。こうしたら中たると離す事が最も怪しいと考えています。同じ射が出来ない事は射法訓に謳われていますが、気付かないまま同じ射を繰り返そうとしていませんか?中たる快感は非常に大きく命令を出す側の脳自体が求めているので、簡単には逆らえません。
練習でも的に中らないと気分が沈む状態になる事は充分理解出来ますが、それが結局的中主導の練習です。調子が悪いと思う時には、矢所を集めて素直な矢を飛ばすだけに集中して下さい。的中がままならない時には特に基本に戻って、矢所を集めて下さい。ここは初弐段の時には身に付けている事が前提です。矢所がばらばらな状態で、手の内や離れで的に飛ばそうとしても安定しません。冷静になって気持ちも基本に戻します。
初弐段に挑戦する段階での矢所の安定は既にそれ以上の段階でも等しい的中の条件です。ばらつきの有る状態で練習では皆中しても、いざ試合になると外れる矢が出ます。試合場での修整も矢所の集まりが影響します。この事を改めて思う事が基本に戻る心持ちですね。