mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

「詰め合いをかみ砕く」の2

 正面打ち起こしでは、大三の力をゼロに近くすることが出来ると聞いた覚えが有ります。ゼロと言っても全くのゼロとはならないと思っていますが・・・。
 今日の趣旨は「肩を弓に押してもらう」です。弓道では能動的に動かす物は精神で、気合いの充実が「伸び合い」でしょう?少し乱暴かも知れませんが有る意味当たっていると思っています。そこで、躰ですが、受動的というのはどうでしょう?弓に押される分だけ躰を使うイメージです。闇雲に押し引きをしないで、弓力に合わせて自分の躰を使っていく感覚です。「詰め合いは本来自然に身に付けている」といった事を以前にも書かせてもらいましたが、結局はそこにまた戻ってきました(^-^;
 「弓を開くに従って弓力は増すので、それに合わせて肩甲骨回りを使う」です。自分ではそういうつもりで引いていても、実は必要以上に力んでいる。余分な事はやってないのと同じで、蛇足となりうるでしょう。無意識にいろんな事をしてしまい、反ってブレを離れで生んでしまう。そんな経験を沢山持っています。
 弓に押手と勝手の肩に圧を掛けてもらい、それに依って躰の線が崩れない様に保つ事が結局は「押している」とも言えるのではないでしょうか?大袈裟に言うと、「弓と一体となる」にはここがポイントだと思っています。あれこれ悩むと袋小路に入ってしまい、いろんな事を余分にしてしまう。弓は操作したり、ねじ伏せたりしない。
 前に紹介した文部省の弓道に関する説明分の要点を今一度振り返りたいと思います。
「人は二足歩行になった。それ故背を伸ばす事を気持ち良いと感じる。その気持ちの良い事を出来るのが弓道である。」正に「背伸びの縦線です」詰め合いは本来自然に出来ると思い、心を開放して、縦に背伸びをし、気持ち良いと思って引く道具が弓でしょう(^.^)
最終的には、いろんな技術的な事も有るでしょうが、思いっきり背伸びをして手も拡げた爽快感を感じて「残身」を執りたいものです。まだまだ遠き道のりですが・・・

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