中るが基本
本来弓道は中たりを取りながら射を良い方向に修正していくものです。中たりを無視しても、中たりに固執してもいけません。
「正射必中」の正射は、流派に依って違う引き方をしても、元々は矢を敵に中てて倒すという目的は共通です。つまり、より確実に多くの敵を倒す「的中」が先に有っただろうし、しかも矢勢が良く殺傷率が高い貫徹力が望まれていたと想像しています。形が綺麗である前に中たりが取れる事を優先しながらより勢いの有る矢を飛ばす修練したと考えています。つまりは小手先の中てる技よりも倒せる矢を飛ばす方がより良いとなったに違いないでしょう。
今は表面主義なので、的に中る事が矢勢よりも先に有ります。この点で元々の正射よりも食い違いが有るのかもしれません。
一人の敵に多くの矢を中てて倒す「数撃ちゃ当たる」人達と、一矢で急所を貫く達人とも分かれてたでしょう。射法訓に準ずれば、離れに少し激しさを感じます。他の武道と同様に、その激しさは内に秘められているからこそ美しく見える。綺麗に引けても中らない事や、小手先の技では無く確実に倒せる技が、結局は正射として今も求められていると思われます。
しかし、試合では的中が最優先です。中てながら修練していくという概念は基本でしょう。「正射は必ず中るが、中るからと言って正射なのか?」の議論も良く耳にしていますが、中る射が良いか綺麗に引く射が良いかの議論をしても仕方が無いと思っています。
細かな技術に囚われず豪快に身体を使いしかも中る射が人を魅了すると思っています。
焦点がボケましたが、中る事は基本です。しかし引き方は一つでは無いので、矢の中る引き方は色々有ると考えましょう。目標は真善美です。