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未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

体幹は訓練するも、困難では無い。緊張は味方で失敗は糧となる

弓道は支点の方を考えて大事にしたいですね。

支点は動かない所で動く方が作用点です。もちろん支点が移動する場合も有りますが、その場合でも一定の高さや方向を保った上の事なので、本来動かす場所から見ると動かないです。

弓を引くという事を理解されてくると、動かない所と動く所をきちんと区別出来るでしょう。いくつもの部分が頭に浮かんでくる人は多いはずです。

歩く時には足を動かしますが、腰や重心や上体は一定の高さや方向を守る様に意識するので、部分的には腰を支点にしています。座ったり立ったりする時も重心は上下するだけで、前後左右には動かない。足踏みは足の付け根というよりも背骨の下辺りが支点となるでしょう。取り懸け、打ち起こし、大三、引き分けと考えていっても、肩や背中が支点となる感じですね。どうしても動かす場所(動きの大きい部分)が気にかかるでしょうが、実際は支点を充分に意識して行う方が結果的に良い動きとなると思っています。体配も同じではないでしょうか。細かな動きよりも先に、腰や上体や首筋、目など目立った動きがない所がブレない方が安定して落ち着いて見えるでしょう。そんなものだと思っています。気持ちもそうですが、目には見えなくても、気の動きを悟られない事が基本です。案外気持ちの動きは目に見えて来るので不思議ですね。

射も体幹、いわゆる軸がブレない方が優先です。手の内や取り懸け、或いは着付けまで形に拘り、部分的に上手く出来ていても落ち着いて見えない場合は、全体の大きな所と気持ちがブレている場合が多いかもしれないですね。外から見ると簡単に見える動きが見えない所で盛んに動いているのが本来の動作です。

「外すこぶる簡易なるもその内蔵する所三界に亘り」なんてどこかで聞いた様な難しい言葉ですが、要は見た目よりも見えない所で、気持ちや働きを考えて下さいとなります。外に見える動きや形を気にしていると大事な部分が疎かになってしまい、見た目を繕った射になる事の戒めと私は思っていますがどうでしょう。

気持ちの在り方をしっかり持って、動作の意味を理解し、細かな部分に囚われずに全体の雰囲気を重視すれば、射も体配も良くなるでしょう。生気体と死気体の差はこの辺りから滲み出て見て取れる物ではないでしょうか。個々の動作が完璧にこなせても精神状態が全てを薄っぺらい物に変えてしまう。弓道はそんな物です。不安げに自信に欠けた動作が良くは見えないでしょう。そこは正しいか正しく無いかの判断力を自分が持てれば解決します。自分の気持ちは自分が一番判るし、判るべきものなのでしょう。中庸という考え方はそんな風にも取れると思っていますがどうでしょう。外目を気にして自信も無い場合には、いくら良くても陰りが見えてしまう。自信もまた自分が身に付ける事が最善です。驕ったり、決め付けたりもまずいですが、自ら卑下する事は避けて欲しいです。

私は体配が上手に出来るとは言えませんが、自身を持って違う事をやらかして誰も気付かなかった経験があります。決して緊張に強くは無いですが、緊張してない振りをする様にしています。試合などでなくても、身体をこれから動かそうとする時に、脈も上がらず血圧も変わらず、気持ちも緊張しないなら、その方が変ですね。緊張は避ける物では無く、力に変えるべきではないかと思っています。

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