mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

中庸と戒驕戒躁

中庸

 いかなる場合でも尊ばれる三つの徳、すなわち智・仁・勇。

 中は偏らず、庸は平常で、偏らず常に変わらないこと。不偏不倚で過ぎたると及ばざるとのないこと。


戒驕戒躁(かいきょうかいそう) 驕らず焦らず騒がず、慎んで静かに堅実にやりなさいということ。


思う事とする事は別の問題です。知識は実践が伴ってこそ生きて来るのでしょう。言い方は難しいですが、実践しない事の知識は返って無い方が迷わなくて済むのかもしれませんね。言うのは易しいがするのは難しい。

小学生の頃父親に将棋を教えてもらい、たまに二人で将棋を指していました。私が手に詰まっていると、「下手の考え休むに似たり」と良くからかわれていた覚えが有ります。「自分の実力以上の良い考えはいくら考えても出て来ないから、思い付いた手をそのまま出して、負けた経験を積んで何故負けたか次までに考えてまたやろう」みたいな事を言われてました。戦っている最中にいくら考えても徒労で戦う前と負けた後が大事なのでしょう。弓も引きながらあれこれ考えても同じなのかもしれません。射位では無心で引いてみて、残身(心)で反省し、次の弓構えまでに対策を考えて、一つに絞り、再び打ち起こしたら無心に引く。或いはその日は今の射で通す。また次までに考えて来る。その方が効率が良いかもしれません。「今日はこれを中心に引いてみよう、結果をみてまた次までに考えて来よう」の方がその場で色々するよりも近道となるかもしれません。看取り練習も限界が有リます。出来ない事をいくら熱心に見ても、見ただけで上手くなる事は無いですね。

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