mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

雪の目付けについて

射法八節の説明に雪の目付けが有りますが、それについての解釈を書いてみます。

雪の一欠片を決め、目で追い続けて見失わないという風な意味合いで集中力を養う事と感覚的に捉えて来ましたが、今は異なる解釈をしています。

目使いが場の掌握というのは皆さんご承知の通りです。ここで?マークが出た人は一応射法射技の基本を教本から読み取って下さい。

雪の目付けと半眼(仏目)は少しニュアンスが違うと感じた方は居ないでしょうか?立って六メートル、腰を降ろして四メートル位が目線の基本でしょうか。更に的は目に映すとなってます。つまりは顔は動かなくても目で追う様に目玉を動かしてもまずいでしょう。今まで言ってきた「視野」で周りを悟る事が武道の基本だと今は考えの中心にしています。目が定まって無くてキョロキョロと動かす事は敵に侮られます。逆に、目が据わり前方は視野で、視野の外は気配で目が定まっている者と対峙した時には相手もうかつに手出し出来ないでしょう。

雪の目付けは少しこれらの事と照らして、一点に視点を定めていても雪の一粒の行方をも逃す事が無いという具合に思っています。

強そうに、或いは上手そうに見せるという事は、視点が定まり、目がキョロキョロしないという落ち着きに有ると考えています。緊張してくると周りが見えず、視点が定まらないというのは弓道に限らず緊張に囚われない道理だと考えられるでしょう。

したがって、雪の目付けも一点を見つめながらも周りの変化が見える様にと言い換えて差し支え無いと思っています。闇夜の矩も似た様な五感の問題で、感覚を研ぎ澄ませる事で敵の居場所を感じ取るという具合です。「心を総体の中央(中心)に置き」となるには、やはり目使いが肝となるでしょう。

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