mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

続続、射法八節で今注意している事の流れ

「手の内を整える」事。

「手の内を回す」親指の付け根から手首の間の通称綿所を固くしたままで手首と腕の伸ばしが中心。

「手の内を入れる」

親指の付け根を握りの内竹右角に向けて当てようと試みる。

「手の内を回し入れる」

大三で効かせると大三で整えるの両方を同時に考える。

手の内を回すだけなら内圧は無しになり、角見が効いてこない。ベストのタイミングで三指と天文筋が弓を固定して親指の付け根を少し前に出す様に入れる。これが親指と中指の先を離さない事に加えて、親指の付け根に中指が付いてしまうと握る事になるという注意すべき大事な点です。更に親指の付け根が360度有るどこが当たるか?が追加で加わる事になるでしょう。「親指を起こす」と考えた場合は親指の爪が真上に近くなるでしょう。親指の自然の姿での当たりとして考えるなら、真上までは向かないで斜め右上に向くでしょう。ここは射手それぞれの選択で構わないと解釈しています。

斜面では弓構えで親指の付け根を内竹右角までは入れ込まずにそのまま引いて、自然と弓が捻られて内圧が上がる事で矢を真っ直ぐ飛ばしたり貫徹力を出したりする様に認識しています。握りの当たり角度が正面よりも少し左よりで七対三か六対四くらいの浅さでしょうか?

正面は引き分けで弓を呼び込み、会では角に当たる様に引くと良い様に認識しています。つまり締め過ぎて弓を固定しない。ですが、基本的には手の内の考え方に違いは無いとも思います。弓を捻るか弓が捻られるかは能動的か受動的の違いになるでしょう。

能動筋肉の動けと言う命令は受動筋肉の速さには勝てないというのが持論です。更に弓の弦が戻ろうとする速さにも遅れる動きが「脳が動けと筋肉に伝えた動き」という持論です。弓は意思を持たないので、同じ弓から弦が放たれたらほぼ一定の速度で元に戻ります。したがって会では形を保持したままの受動筋肉が勝る理屈です。勝手で言うと、離れで指先を意図的に開いたりする時の一瞬力みで突き離れが強調されて見えるという事です。指先を動かさなくても腕を開けば弦は放たれるでしょう。無意識に腕を開いただけで離れず矢を引き込んでしまったという場面は見た事も無いし、想像しても起き難い事でしょう。むしろ指先を動かさずに腕を開いて離れが出る様に練習で意識する方が筋と思っています。条件反射の様な積み重ねが有った上での事ですが。弦がカケの親指の腹を擦って出ていきますが矢飛びに影響は無いと考えています。むしろ同じ所を擦っている事は必要です。

それより一瞬の指先の力みで会が弛む事の方が問題です。

離れは意思を持たすと途端に悪くなる。意識的に離そうとしたり、大きく開こうとしたりしても軽く鋭くは遠退くでしょう。しっかり引く時は引いて、会を充実させた後は腕を開くだけです。イメージとしてです。引かぬ矢束を目指していて、例え今は押し引きのバランスがまだ上手く出来ていなくても、引きの力が弛まなければ、腕を開く動作も軽く出来ます。既に離れに必要な力が有るからです。弦を引っ張る反動で右拳が飛ぶとするのが自然の法則に則していると考えられます。なので意図的に離れを強く出そうとした腕の能動的な動きが逆の結果を生んでいるという可能性は検討すべきではないでしょうか?

離れは引き分けの結果で、意図した要素が指先に無い事で軽く鋭くのどちらも手に入るでしょう。

したがって、力を逃して離す事で軽くなる発想は全く逆で、しっかりと引いている事で軽さは手に入ると考えられます。自分が引けるぎりぎりの弓でしっかりと引いているから軽く離せるという一見矛盾した様に思える意識が肝です。間違っても軽く離す為に取り懸けを浅くしたり、指先へと意識を置いたりする事はしない方か無難です。弓に遅れるので避けるべきです。勝手に力を入れてしっかりと引いている会を目指しましょう。それが上手く行けばそのまま保つ事で押し引きが素直に出来るというものです。勿論持論で全てがこうなる訳では無いです。

ただ確信が有る事の中で大事に考える事は「左右均等」が会を安定して見せてくれる事。「弛まない様に保たれた会が押手と勝手共にきちんと使われている」という二つです。

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