mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

骨格の仕組みで弓道と関係する事④

元々斜面が主流だった弓道から正面打ち起こしが生まれました。

何故か?と骨格の面から考えた事が有りますか?本多翁が身体の無理を無くす面から考案されたと認識していますが、間違ってないでしょうか?

今までの経験や斜面の射手を見る時に、確かに手の内は決めやすいし、実戦の時代なら矢を番えて構えやすいと思っています。

私の思う問題は打ち起こしの高さです。確かに膝の前に左手(つまり押手)を伸ばし構えてそのまま会に入れば無駄無く無理なく素早く引けそうです。現代の斜面は打ち起こしてほぼ正面の大三辺りまで上げます。つまりは弓を三分の一、或いは三分の一+㌁引いてから両肩を回し上げる。肩に力を入れて(左右に張って)上げる時に問題が有ると考えた様に思っています。力を入れたまま動かす事はどこの部分でも不具合が出ます。そこを避けたと考えます。肩より下で開いて一旦額の高さ位まで上げ、また下に下ろす。美の要素を除くと無駄とも思える行程で、そこを突いた変更の様に思っています。そんなこんなで無理を避ける様に、開きながら上げる大和流なども派生した理由の一つでは無いか?とも思っています。

それなら力を入れない時に高く上げ、引き分けると徐々に下がってくるのが楽ではないかという正面打ち起こしの引き方に対する考え方が見える様な気がします。

私は斜面の射法については分かりませんが、手の内の作り易さは魅力的です。この話の流れから言うと、打ち起こす時に肩に負担の掛からない上げ方がうまく出来たなら、手の内が作り易さから考えた時には、初心の弓道としては取っ掛かり易いかもしれません。中たりを取り始めるのも案外早く出来るのかも。「隣の柿は美味そうだ」に似た発想ですが。手の内に悩む時は俄斜面でも良いので、練習方法としては有効かもしれませんね。練習は形に拘らず最善を考える事も間違って無いでしょう。

射法、流派は色々別れてますが、弓を引いて的に当てる事の本質は同じです。時には流派を越えて弓道として的中を得る引き方を考える事も大事なのかもしれません。棚ぼた的に現代の自己流から新しい流派が生れるかもしれません。「弓道はこうでなければ」と決めないで、他流派の良い所は素直に良いとして構わないでしょう。正面打ち起こしを習う人の中で、斜面って格好いいと思った事の有る人は居ませんか?私は学生時代にそう思ってました。私が開祖になる力は有りませんが、沢山の自己流を身に付けた或る意味新流派ですね。いつもと同じ感覚を持ちながら弓を引き、尚且つ射を良くしたいというのは、少し矛盾が有りませんか?射を変えたいなら今の感覚を捨てないと変わりません。打ち起こしも引き分けも変えないで離れを変える事は出来ません。弓構え打ち起こしが同じなら引き分けも同じ様になるでしょう。案外初心に帰るのは難しい。背の高い人は大きく引こうとしなくても元々人より矢尺は長いので軽く引いたり、背の低い人は逆に矢尺が短いので強い弓が引ける。そんな風に自分の体格を活かすのも悪いとは思いません。私は背の低い若者には「人より強い弓が引けるのでラッキーじゃん」と言うし、背の高い人には、「呪文の様に大きく大きくと思わなくても同じキロ数なら楽に引いても矢は飛ぶ」と伝えます。良いと思いませんが、実際はそうだろうと思っていますが、どうでしょうか?正射から言うと間違っているのかもしれませんね。

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