mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

必要な段階

弓道に特殊な体の使い方は無いと思っています。日常で私たちが無意識にしている身体の動かし方で、殆んどが事足ります。要は全身を使って弓が引けたなら、それだけでも及第点だと思っています。無意識にしている動作の「呼吸」「歩く」「走る」などは意識した途端に難しいものになりやすいですね。例えば徒競走などで、気ばかり焦って足がついて行かないで縺れそうになった経験も有ります。そういう風に考えてみると、自分の体に気を向けて(矢と一緒に気持ちを飛ばさない)自由に体を動かせれば、それなりに弓は引けると思っています。ここを出発点としての第一段階を乗り越えられたならば、そこから先のあらゆる基本の下地となってくれるでしょう。これを踏まえて、大三の執り方を思うとやはり出来るだけ狭い感じが良いと考えています。両手の方から肘までの角度を出来るだけ合わせて両手を同時に動かせれば本来の左右均等も解りやすいと思います。整体を中心にされているサイトで「肩のゼロ・ポジション」なるものを目にした事が有ります。その中での表現を借りると「グリコのポーズ」に近い様に書かれていてそれが大三の押手の位置に近い様にも書かれていました。水平から45度上に挙げて左右に45度開いた感じです。ここが肩のニュートラルな位置だと説明されていました。どこにも負担の無い肩の位置という事です。ご承知の通り「肩甲骨」は中に浮いた感じで筋や筋肉の全体のバランスで構成されています。他の所謂「関節」とは違って肩回り全体を「肩関節」と広く表現する事も有るようです。そのポーズから右手の肘先を弦に任せた感覚で大三を執れれば、負担の無い楽な大三に近い様に思っています。中心は肩の状態です。押手の肘や手の内を意識し過ぎないで両肩や右肘にも同じ重さの注意を配れれば成功だと思って初心の方にも説明しています。両肩が崩れないまま会を迎える事が出来ると、自然に詰め合いも離れの伸びも殆ど自然に出来るでしょう。手の内は時間を掛けてじっくり取り組むべき個所なので、弓への当て方の感覚のみでしばらくは「無視」する位でも良いと思っています。私は「弓は引かなきゃ押せないよ、まずは引かなきゃ」と言いますがどうでしょうか?教歌に有る「引く矢束、ただ矢束」の二つも上達の過程のいくつかの段階では必要だと捉えています。ちゃんと引き込めていないのに、「押して押して」と意識させるのは無理な段階も有るでしょう。ちゃんと引く前に手の内(角見)中心の射になると小手先の技に陥りやすいと思っています。多少力むのは当たり前で力んだ勝手に対抗するには、手の内がべただったり、握って力んでいてもそれで左右の均等は取れるとかなり危ない考えも持っています。実際に手の内はきれいに見た目が整っていても引けない人が結構いると思っています。逆に手の内で突っ張ったような押手の負けた引き分けに見えます。なので、この力んだ引き分けから始まるのが自然と考えて、思いっきり引いてもらうという考え方は乱暴でしょうか?やはり基本優先?悩むところですが、別の根拠も聞いて下さい。下手の横好きで草野球のピッチャーをしていた時によく考えていたことですが、少々コントロールが悪くても速い球が投げられるというのを羨ましく思っていました。その頃は、コントロールは練習量で身に付くけれど、早い球を投げれることは一つの才能だと良く耳にしていました。適度に(あくまでも適度に)荒れ球で早い球はなかなか打ち返せません。弓道に直結して考える事は難しいとはわかっていますが、多少力んでいても自分より強い弓を引いている人を見かけると、弓力を上げたくなります。相克相生と基本はわかっていますが、何と言ったらよいのか、本能的に対抗してしまうんです。まだまだ子供ですね・・・(^.^) しかし、男である以上無くしてはいけない気持ちとも思っています。となるとやはり弓道は平常心・・・この気持ちも素直に受け止めて付き合っていきたいと思います。まずは細かい事とは並行して、充分に体全体を使って引くという事も時折ワザに意識してやっています。

×

非ログインユーザーとして返信する