mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

残身(心)から逆算して考える事②

残身(心)で一番の関心事はやはり押手の手の内の姿でしょうか?

鍵となるのは親指の向きと押手の肘になるでしょう。

親指の姿はそれこそ多種多様で個人差が出る所です。

離れで手の内が真っ直ぐ切れたなら残身(心)はほぼ良いとされる一つの基準となる様に思っています。親指の使い方は手首の振りとも関連が深いと言えるでしょうが、手の甲が力む場合、弓を捻る場合、弓の反動などから左に振る事なども理由が考えられるので、親指の姿自体は直接的では無いとも言えます。離れの考え方、出し方にも関わるので親指の姿そのものが関係してくると捉えるのは物足りないとなります。

弓を持たずに前に倣えをした時の無意識な親指の形がその人の本来の姿と考えています。鵜の首と良く耳にしますが、これ一つを取っても考え方は色々です。

角見の効かせ方も一つに絞れないので手の内は難解ですね。

残身(心)から逆算して考える方向に絞り込むと親指に故意的な動作が無い方が会と残身(心)の姿に大きな変化は起こり難いと考えます。

角見は親指の付け根を弓に負けない様に固く構えると考えるなら、付け根より先はどうなっていても影響しないでしょう。弓になるべく接しない事や親指と中指の先が離れないという基本に照らし合わせると、親指左側面の皮が剥けたりする間はイマイチと見られても仕方が無いですね。手の内の豆が出来る間も同じです。しかしながら手の内は始めに豆が出来てからその部分に豆を作らない工夫をする事で上達すると言えます。親指の付け根に有る関節が固まって太くなる頃に豆も消えていくと考えています。

私自身の基準は、引き分けで親指の爪が自分から見える感じに心掛けています。親指と人差し指を開いて引いても弓力が掛かると結果的に挟んだ形に見た目では近くなると以前に書きましたが、自ら弓を挟む事と残身(心)で結果は違ってきます。親指を的に向け過ぎると既に残身(心)の状態で会へと入っているので、手首が左に振られるのは必然でしょう。手の内が上達してくると、弓自体も回転しようとするので、その力を調整出来無いと尚振るでしょう。ここも痛し痒しな部分で、未熟でも左に振られるし、上達してくると振られやすくなる。或る程度上達してくると弓の回転力を上手く逃がす事も可能となりますが、どうしても弛ませてると見えてしまいます。手の内が順調に上達した結果更に左に振られるなんて事も起こり得るのです。そこで岐路に立たされます。弓力は逃がすのでは無くて活かすとなりますが容易では無いでしょう。そこで基本に戻り親指と中指の先が離れないとされている理由を改めて考える時期が来てると考えてみましょう。親指の付け根を固くする時に親指自体も反って力むのは多少目を瞑り、親指が力まない事よりも親指の付け根が弓に負けない方を優先して稽古したいですね。弓力がきちんと受けられる様になると、親指も人差し指も案外自由になる物です。人差し指にしても伸ばしても曲げても良いとされているので、親指同様に人差し指が多少力んで伸びていても下に向けなければ良いのです。基本にはそれなりの理由が有るでしょう。優先順位さえ間違わなければいずれ余分な力みは取れると信じて、弓力には力みで対抗する事を始めから避けては通れないという事です。したがって、きちんと引けない間は力まないで引く事自体無理ですね。

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