mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

弓道で私が悔いているいる事

なんと言っても初心の頃は言葉の意味もわからずに練習していました。例えば「寄せてくる」「寄ってくる」などの違いなど当然わからなかった事でしょう。今は当時を振り返って、一生懸命会に寄せる引き分けをしていたと少し思える位になれたかなと思っています。今更ですが、それは射法八節を形から入るという練習から当然なるべくしてなった結果だとも思っています。

後になって初心者教室などに参加してみると、「引いた結果寄る」なんて事は非常に伝えにくいです。言葉では「弓を押し弦を引き続けていれば会へと引き寄せなくても横に横にと開いて行けば結果会になる」みたいな内容は頭では理解している様に思えるかもしれませんが、実際はどうでしょう?たぶん当時の私なら一応「はい」と返事はしても理解は出来なかったでしょう。実際は今でもこれで良いと確信しているかと言われると微妙です。「今は出来なくてもいずれ出来る様になる」という呪文の様な言葉を信じて練習していた様に思って来ましたが、教本や指導者、先輩の言った言葉の受け止め方が人によってこんなに違っていたのかと今更ながら思っています。

「弓を押す」と言われて押手に力を込めるのは当たり前。「大きく引け」と言われて勝手に力を込めるのも当たり前。「弓に割って入る様に引け」と言われれば重心が前に出る。「胴造りが悪い」と言われて両方の足を固めてしまう。もちろん私自身はその時々には一生懸命にやろうとしていましたね。以前にも言いましたが、やはり補足説明が必要です。もしかしたら、よく耳にする弓道用語自体よりも、補足説明や言い換えた表現の方が大事なのかもしれません。

出来る人、理解している人が出来ない人や理解できていない人に言葉を伝える事は大変難しいです。

今は理解出来ないで当たり前と思って、自分の言葉で聞き返す事が出来ていれば当時の私も勘違いの部分を多く減らす事が出来ていたのでは?と思います。「指導者の難しい所」というよりも、「弓道表現の難しい所」というのが正解でしょう。精神的な事にまで内容が絡んでしまうと尚難しいです。

学生の頃は地元の弓道連盟の会長などに声をかける事も難しいし、ましてや普通に会話する事も難しい。しかし、臆せずによく話をすれば良かったと後悔しています。その方ももう亡くなられましたので今では話しを聞く事すら出来なくなってしまいました。

今現在の風潮というか指導の中心は押す事と引く事になってます。

正に日頃もこの二つを耳にします。

「もっと押せ、もっと引け」ですね。時には「引き過ぎ」と聞く場合もありますが。

自分の言葉にして、それをきちんと伝える事が必要です。わからないなら聞くという単純な事をもう少しするべきでした。

「はいっ」と良い返事を聞いてもする事が変わらないなら、分かってないか自分の感覚が意識と動きで差があるという事です。結構な数の人達が聞くだけで問い返さないという状態で練習しているのではないでしょうか。

試合前になると「どうしたら中たりますか?」「ここに抜ける(例えば)のですが」などの会話が増えてきますが、では日頃どう練習していたの?と聞き返したくなります。前回の試合後、次までにこうしなければと思う事が大事なのでしょうが、結果に一喜一憂する割には、過ぎた事は忘れるという矛盾が有りますね。

焦点がブレたかもしれませんが、こんな事をと思わずに頭に浮かぶ事をそのまま口に出しましょう。もっともらしい正解を言わなくても全然構わないです。良い聞き方はありませし望まれません。出来ない事やわからない事をそのままに主観を入れず口に出せれば上達のスピードも少し早める事ができたかもしれません。

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