mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

学生弓道時代で良かった事一つ目。

試合会場で審判員の先生に「中るかもしれないけど手の内の親指を伸ばす様に直した方が良い」と言われ、その後ひと月半は親指を伸ばす事ばかりを気にして練習した事とそれが中たりが取れ始めた時期だった事です。これまでのブログの内容からは明らかに練習の仕方が不自然ですが、この頃親指を必死に伸ばした事で現在は伸ばすも曲げるも自由になりました。手の内に興味を持たせてくれた時期が中たりが取れ始めた時期だったのが幸いだったかもしれません。

私の場合は、明らかに曲げた親指を伸ばすよりも、伸ばした親指を曲げる方が簡単です。「鵜の首」って親指を反らす場合と曲げる場合の両方が存在しますが、始めは伸ばす方が親指の付け根を下げる感覚を求める時には後々楽だと思っています。特に残身(心)で的に伸ばすなら、曲げた物を伸ばすよりも伸ばしたまま離れを出す方が一つ動作が減るので良いかもしれません。

親指の綿所を弓に対抗させる時に、他の部分が何も助けずにそこだけ頑張るには無理が有ると思われます。ましてや始めは手先に力が入る。握って弓の性能を下げる事を避ければ始めは大丈夫ではないでしょうか?大切な物を得る為に犠牲になる事は弓道に限らず有るでしょう。そこまで大袈裟では無くても、感じを掴むまで色々試すことが大事だと考えられるでしょう。形を崩したり、基本を逆行したりは、いずれ身になれば問題ありません。同じ練習を繰り返しているのに射を変えたいと思う事は中々難しいかもしれません。

その当時は退出の途中に呼び止められて言われた事です。先生も長くは話せないから要点だけを伝える為に選んだ言葉だったのでしょう。結局は中てるだけでは続いていかないと伝えてくれたのだと思っています。

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