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未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

あらすじ壱

人は一人一人癖がある。

行動が意識される場合も無意識の場合もそれぞれ癖を持っている。

元々狩りの道具から生まれ、戦いの道具の側面が生まれ、狩りは戦いの間の息抜きになり、平和になると身体を鍛える手段に変わってきた。それからは徐々に精神性が加わって、人格を見る目的が出てきたのが禮記射技の頃となっている。射法訓は泰平の世に生まれ武士の嗜みとして身体を鍛える時代に出来た。

弓道の変遷をみると、結局は的中を取る時に美しさが求められる。その美しさは見た目の形だけでは無く、引く人の人間性も問われる様になった。

とまぁこんな感じで弓道の移り変わりを考えています。なので、中たりが中心でも、身体や精神を鍛える事が中心でも間違いでは無く、結果的に武士道から武道に変わってきた事で、弓術も弓道へと変わってきたのが現代と言えるでしょう。つまりは「道」が中心。今はどう引くかは引き手に任されているけど、昔はどう考えて引くかで趣向の似た者が集まって練習をしている場所が道場となっていたのでしょう。

私自身は、考え方、引き方、性格、職業、性別、年齢と様々な人々が集まっている事に意味が有ると思っているので、色々な人が居て当然として、それを全て飲み込んだ上で弓を引いていたいですね。一般社会では当然の事と考えています。ただ、学生弓道では同世代の集まりが多いので、校風など特徴が現れるでしょう。それを競い合う。

道は考え方とも言えます。しかし考えている通りにはなかなか引けない事が多く、常に迷いつつ引いています。迷いは出て当然です。考え方が同じでも同じ形になるとは限りません。それは同じ形に見える射でも向き合っている物が違うのと同じ事です。始まりは形から始まっても自分なりの弓に対する思いは持つ方が良いでしょう。精神的に的中を生む要素が有るとすれば、ただただ弓を引きないという気持ちが一番ではないでしょうか?次回から再び具体的に的中を取る引き方を今までと違う表現で進めていきたいと思います。同じ事でも視点が変わると言葉や受け取り方が変わってきます。物の捉え方が同じでも表現に差が出るのは弓道の特徴だと考えられるでしょう。

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