mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

手の内を見せない

実際は手の内を見ただけで理解は出来ないと思っています。理解したつもりでも思う様に作れません。手の内は一番個人差があると思っていた方が良いと考えられるでしょう。取り懸けや弓構え、打ち起こしなど形から入る物も確かに有りますが、手の内は形だけを整えても効いている所までいくのが難しいです。しかも中たりに関係が有るとしたら尚更難しく思えてきます。形から入るのではないとしたら、働きを理解すると良いのでしょうか?私が重要に思うのは感覚です。私達の指先は1ミリも無いような段差でも指先で触れるとわかります。ほんのちょっとの事が脳に大きく伝わります。感覚と言ったのは、感覚を鋭く磨いてより敏感にするという意味合いではないです。むしろ感覚差に悩まされない様に多少の違いを無視出来るか?という事です。ズレに慣れると良いでしょう。寒い時期に手がかじかんでいたり、握りが乾燥して滑りやすく感じたり、梅雨時期には握り皮が湿っていたり、手の平が汗ばんだりと四季に依っても手の内は感じが変わりやすい。全て受け入れて気にしない事が大切です。手の平の感覚が繊細なために感覚差が大きく感じられますがさほど影響しません。影響しませんという意味には二通り有ります。一つは感覚差は思った以上に大きく感じている事。もう一つはいつもと違う感覚を脳が嫌うという事です。脳もいつも通りだと安心し、違う感覚だと何とかいつも通りにしようとします。射の修正が難しいのも感覚がいつも通りに近い方を無意識に欲しているせいもあるでしょう。言い方は難しいですが、無意識に修正しようとする脳の命令に身体の動きを任す事です。ここで練習量や経験の差が出ると思われます。自分の身体の動きに一旦任すのです。無心を志すなら脳の感じる感覚を磨くしかありません。的前でいろいろ気を付けながら、或いは修正しながら引く事は当て射に近づくと思っています。考えないで身体の動くままに引ける様に、射位に立つ前に練習をする事が本筋でしょう。的前では今の最善が正射と言えます。自分の射、自分の中たりを得る為にも何も考えないで放つ矢が必要です。全く的前で考えるなと言っても私自身無理です。なので、その日の最後の何立ちかは考えないように引く。その事で今の自分の現状がわかるでしょう。

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