mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

言葉を変えると見方が変わる

現状の世の中はかなり深刻で、日頃の習慣は中々変えられない事が身にしみていますがどうでしょう。

私の父は小さい頃に家の裏手の遠賀川の水を毎日汲んで風呂に入れていたらしいですが、今の私は蛇口をひねれば水はもちろんお湯まで出ますし風呂も自動で湯張りしています。今ではマスクも使い捨てが当たり前の時代となりましたね。手作りのマスクを付けた人をこんなに見るとは思いませんでした。

弓を引く場合も簡単には自分の射は変えられません。それほど脳が一旦覚えたイメージは変えられません。したがって、練習不足は自分が自分で作り出して、勝手に調子が戻る事に少し時間が掛かると思う結果が大きく影響していると考えてみましょう。

またか?の話しですが、射法訓や禮記射技などで言われる「的は動かない」とは的確な指摘でしょう。しばらく弓を引けてないから、練習不足だから中らないと大きな顔で言うべきでは無いかもしれません。毎日練習が足りていれば外れないか?と言うと、多くの人は外します。

では、毎日、毎日弓道だけを修練すれば外れないか?という事です。はずれなくなる人も居るかもしれませんが、結構難しいと思っています。

逆に考えて、しばらく引けずに元の様に引けずに調子が崩れると感じられるなら、射を修正するチャンスと思えばどうでしょう?ほとんどの人が引けていた時期に早く戻したいと考えるのではないでしょうか?元の射に戻してから再び今までの悪い所を修正する事は少し矛盾しています。練習が途切れる前の引き方に満足している人がどれほど居るかは疑問です。それほど的中は魅力的です。射を直す時には中りが出ても首を傾げたりするのに、しばらく弓から離れると単純に中たりを求めて引いてしまう事は珍しくないでしょう。

「しばらく引いて無いから調子が戻るまでに少し時間が掛かる、練習不足だから的中が落ちても仕方ない」とは言わず、「一旦弓を手にすれば常に思う様に引きたい、中てる練習はせず常に射を磨く」と言いたいですね。そうすれば結果的に的中が上がると心では思っているはずでしょう。

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