mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

私の射法1

 足踏みは昔の教えの一つに習い、的心と左足先を結ぶ線の延長上に右足先を開く。ここに意識を一つ加えています。延長線は「どこまでも長く、出来るだけ長く」です。左足と的心を結ぶ線も的までにとどまらず、的を突き抜けてずっと先まで・・・。畳み一畳足らずの場所で射を行わない感じです。自分の脇正面、背面の空間の間を二分するように、足踏みの両延長線上に垂直に立つ面をイメージして頭の中で描いている感じです。思うに、射位だけで行う射だと身体の線(三重十文字)が崩れやすい自覚を持っているからです。

 胴造りにしても、人物絵のデッサンの様に骨格をイメージして、背骨の自然な湾曲を思い描く事から意識し、脇の筋肉で下に肩を引き下げるイメージを持っています。射の運行の過程で胴造りが崩れてしまう原因はこのイメージが弛む事だと思っています。この辺りの感覚が途中で押手の手の内や、右肘などに奪われて弛むことが少なくなれば、概ね射は成功になる事でしょう。

 取懸けは、各々研究のなされる所ですが、掌(てのひら)と肘の内側の面がいつも同じ方向に向く事で、色々な射癖をクリアー出来ると思っています。勝手の取懸けの最も重要視している事は「橈屈」です。取懸けから「尺屈」していると、親指で弦を引いたり、手繰りの原因を作ってしまうと思っています。離れの出にくい人は是非意識したい事だろうと確信しています。離れの弛みなどは取懸けを検討するのが最善の近道です。私達は「前に習え」の時に腕を前に伸ばしますが、この時に両掌は脱力すればするほど自然に「尺屈」します。両肘の内側は斜め上を向き、中指は若干小指側に下がっています。これをせめて中指が地面と水平になるまで手首を上に持ち上げる。俗に言う「中押し」の方向です。

 打ち起こしは、胴造りの時の脇下で肩を引っ張る力と腕を上げて行く力の均衡を45度~47度辺りで図ります。どこまでも上げ続ける感覚なのに止まって見えるのは、優先が肩を下げ続ける事だからでしょう。普通に腕を上げると肩が上がるのは自然の仕組みでしょう。弓道では肩を上げない基本が有るので、背中の筋肉を使います。

 大三への移行(受け渡し)では、取懸けの橈屈の弛みが無ければ、親指を弦に引っ張らせる事で、自然な「捻り」が生まれます。ここに気付いてからは、捻る意識は持たず、それでいて捻りが甘い事も無くなってきました。意識的に捻る事は、脱力の観点からもあまりお勧めしません。また、捻り具合を加減して引く事は安定感にも問題が出やすいでしょう。故意に力を加えるべきは「捻り」では無く、橈屈の保持だと思っています。

また、肘を張る事の限度を教えてくれるのが肘の内側の「向き」です。両肘の内側が向かい合っていること以上に肘を「張ろう」とすると肩に影響が出やすいでしょう。弓構えから、残身までの肘の向きを変えない様に心掛ける事で、離れでの「ぶれ」は減ってくると思っています。勝手の肘を大三で張るという意味は、肩を背中側に逃がす事ではなくて、肩はあくまでも動かさないで、肘を自分に近づけるという風に捉えています。ここまで来れば後はそのまま弓に負けない様に肩を左右に開いていく(押し開く)だけですね。

自分で口割や胸弦に矢を下してこなければ、良い射と言えるのではないでしょうか?

×

非ログインユーザーとして返信する