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未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

手の内は手首も含め全体で一つ

左手の三指で第二関節に視点を当て縦に揃えるとほぼ爪揃えは出来ます。たいがいの場合は中指の付け根が一番手首から遠く、順次薬指、小指と近くなっているのが理由です。弓を持たずに自分の目線で三指の第二関節を内側から揃えて手の内の形にしてみると指先もだいたい揃います。

意識を第二関節に置いてから、中押しの感覚と三指のそれぞれ指同士から見た第二関節の開き具合、弓を押す感じ、狙いとの兼ね合いなどと総合的に考えてみたらどうでしょう。と言うか、手の内は部分では無く総合的に考えるべきでしょう。

手の内を修整したい場合に例えば爪揃えだけ、天文筋の位置だけと限って修整を目指すと全体のどこか別の場所に違和感が出てしまう事が充分に考えられます。

結果として、ここを治せば次はここ、またそこを治せば他の所が気になりだして堂々巡りを繰り返して進まなくなる事が多いから部分的に治す事が難しいと思われます。

それと、人の指の感覚はかなり優れている事も挙げられます。少し変わると見た目には余り差が無くても大きく変わったように受け止めてしまう。

手の内を考えるエッセンスは、手首の角度、人差し指の状態、三指それぞれの関係性、親指の付け根、虎口の皮、天文筋が主なものですが、ここで射法の基本と照らします。

なるべく握り(弓)に接する部分を少なくする事と力で持たない事と親指の腹と中指の先が離れない事、人差し指は曲げても伸ばしても良いが下に向けない事などで、基本とされている事はさほど多く無いです。

力を入れないと思っても一番入りやすいのが指です。弓を握らないと言っても持ってないと引けません。弓に触れる部分を少なくすると言っても引くほどに逆に弓から手の内に圧を掛けてくるでしょう。

ここで考えるべき事は、本来持っている自分の身体の骨格や仕組みですね。「骨を射る」「射即人生」などは特別では無い事の意味です。手首、手の平や手の甲に指、肘、肩などの身体の部分が連動して弓を引く時の自然な形がもっとも効率的で最小限の力を使って弓が引ける事で、そこに収束されるという事です。

腕や身体の力を抜き、関節や筋に無理の無い自分の日頃の姿を知れば良いと考えられるでしょう。

腕を水平に前に上げた時の自分の肘の角度、何気無く無意識に手の内を整えた時の親指の状態、人差し指の曲がり具合、手首の状態などを余計な知識を足さずに見て知る事です。

つまり例えを挙げると、意識的な動作には色々有ります。

人差し指を伸ばす、畳む、上や下に向けるなど。親指なら起こす、的に向ける、反らす、曲げるや付け根で弓を押す、角見を効かせるなど。弓を捻る、上押しを掛ける事も。人差し指と親指を使って弓を挟むなど。小指を締める、まれに薬指を使う。全て意図的な行為になるでしょう。

離れもそうですが、無意識が最高レベルとされるなら、意図的な行為を全て取り去ってから自分自身が既に持っている、あるいは身に付けた自分自身の姿形から出発するべきでしょう。元々日常から持っている癖を知らずに知識から技術を会得しようとする事自体が遠回りです。

余分な力=意図的な行為とも言えると考えられるでしょう。

今回挙げた様な意図的な行為をしないで、本来の自分の形を知る事は大切に思っています。射を治すなら日常の癖を治す事が並行して重要です。

こう考えると射法を理解する時の基礎が培われると思われます。

うまく伝えられたかは疑問ですが、意図的な行為は弓の操作に繋がると考えてみましょう。手の内なども違う物に見えてくるかもしれません。

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