mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

良く話題に上ってはいるが、曖昧・・・どっちが先?

良く、議論になるけど、いまいちな事

  1. 押し開くvs.左肩根で弓力を受ける
  2. 押手の手の内で弓力をきちんと受けると押手も伸びてしっかりと大きく引けるようになるvs.手の内を習得するには時間が掛かるのでまずは全身で大きく引く事を意識しながら手の内の習練を積む
  3. 押せないと引けない、引けないと押せないので結局は左右均等vs.どうしても右手で引くので意識はどこまでも押し開く

高校生と話をすると、「押す」という言葉に反応するのはやはり「押手」のイメージが大きい様に思っています。勝手の肩を裏的方向(右肘の方向)に押し開く事の伝え方は私にとって非常に難儀です。手首の力を抜いて、「右肘で引く」と頭では理解しようとする様子は窺えますが、手首の脱力を目指すと会の勝手が小さく納まっています。かと言って、それじゃあ引けてないと言うと、大三から引き分けに移る始めに大きく引いて、押手が力み、鼻の辺りから失速し、会に入る直前には下すだけになってしまう人も・・・ここの間で悩む生徒が非常に多くなっています。大きく引く事は、手首で開く矢尺ではなくて、肘の納まりの位置と皆理解はしていますが、次に訪れる感覚は、会は会、離れは離れと別々のものになって、弛んだり、離すために一度力んだりしてぶれる・・せっかく「会」のまま離せたら中りそうな形を自ら壊してしまう。そこで、会・離れは引き分けの延長だという意識にしてもらうと、引き離しか、早気になりがちに悩む。押手が負けていると伝えると、大三で押手の肩を押し上げて、右肩を引いた捻じれた胴造りになってしまう・・・

 八節の連続性や表面上は止まって見える動作が実は止まっているわけではないと言っても、かなり難しい感覚で掴みづらいでしょう。

 冒頭に挙げた1~3も結局は同じ事ですね。射は全部で一つ。どれか一部分だけを突出して磨くよりも、並行して平均的に進むべきでしょう。

 頭では生徒も理解しているようですが、会までは会のため、離れで何とかして中てようとする人が増えている印象です。まずはここの意識付けがまずは第一と思う今日この頃です。個人的には肩は力むとちゃんと動かないと思っているので、余り胴造りとか、肘を張れとか、角見を効かす、押せや引けといった風な類の表現は避けて一緒に引いています。

目一杯引いてもらっても、楽に引いてもらっても、どちらの会の大きさも矢尺も大差ないので、体を楽にして引ければと思っています。意図は伝わりにくかったかもしれませんが、やはり細かな所に拘り過ぎないで、おおらかに伸び伸び引く事が重要だと思っている所です。

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