mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

再び「癖」

感覚という所で以前触れましたが、自分がこう引こうと思ってる射と実際にはこうなっていると見える外観に差がある事は珍しく無いです。思うまま身体を動かせるなら苦労しません。

癖には分けて考える方が良いと思ってる事があります。まずは身体の癖です。日頃の歩き方や姿勢など癖の無い人はいないと考えられるでしょう。

もう一つは、考え方の癖です。少し悪意が有るかもしれませんが、俗に言うところの「頭が固い」と言える様な考え方に偏りが有る場合です。結局、柔軟性は身体も心も同じ様に大切になってくるでしょう。更に知識も同じで多くに目を向けたいと思っています。かなり前の話題ですが、例えば椅子に腰掛ける時、気持ち的には浅く腰掛けて背中を丸め肘など突いたりしてリラックスしても、身体自体が楽な姿勢とは全く違います。

長年培ってきた身体の癖は短時間で修整することは困難です。しかし、考え方の癖も同じ様に厄介だと思っています。年齢を重ねていくごとに人は融通性を失ってしまいがちです。身体の癖よりは考え方の癖の方がよりてこずるかもしれません。

私自身もだんだん頑固になっているのではないか?と疑っていても、咄嗟には気付かないで後からしまったと思う事が増えつつあります。感情的になってしまった時の言動には注意するべきと思っています。

知識は多い方が良いと言っても選択肢を増やせるという意味で、一貫性は必要でしょう。同質の物を選択しないと辻褄が合わなくなります。

こうして考えてみると、弓道にも大切なのは、「取捨選択」と「心持ち」となりそうです。したがって最終的には射法が根底に有るということです。

本題の癖は既に有るとして、自分に合うものの取捨選択が必要だと考えられるでしょう。癖を直すというよりも利用する方が良いかもしれません。考え方の癖から行動の癖が出る事は不自然ではないので、気持ちの切り替えが大事になると思っています。

最近触れた考え方ですが、一つは「過去の解釈を変えると今が変わる」という事と「潜在意識に主語が無い」という事です。この二つは結構書籍でも目にするようになりました。ニュアンス的には共通する物と受け止めています。一言で言うと、「マイナス思考と誹謗中傷は結局自分の為にならない」ということです。潜在意識に主語が無いという事は、人に向けた言葉は自分の潜在意識の中では自分の事だと受け止めてしまうという事です。たいそう怖い話ですね。

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