mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

最後に残る事を始めのイメージで捉える。

狙いの左右では矢筋を目標に向け、高低の向きは水平。離れの意識は「矢の向きのまま飛ばす」事。言い方は乱暴ですが、矢の向きを変えないまま押し引きが残身まで続く事で、「的に押手や手の内で押し込む」と言うよりは、「左右に体を伸ばして矢の向いた方向にそのまま矢を発射する」。或いは、「見ている場所に矢を飛ばす」です。物見をしながら打ち起こしたり、大三に移行する時に押手やその手の内を見たりを避けて、常に目標(的心)から気を逸らせない事。

 最終的には、矢の向きに飛ばせる事、つまりは会に入った時に狙いが付くように引き分ける事、その矢の向きに矢を放てる事が土台でしょう。離れに色々な癖が出て来ますが、それは結局この単純動作に色々途中で考え、色々な事を試みている結果とも言えるのではないでしょうか?

 28m離れた的の中心は、自分の立っている床の水平線から尺二寸の半分である六寸上がった所です。水平に放たれた矢がそのまま水平に飛ぶのならば、背の高さに依って、各々的の高さを変えなければいけません。

 矢を水平に会で構える事は弓力にも影響されるので、水平に狙える弓力を引けるようになると有利でしょう。けれど、狙いが若干上向き加減の人でも、そのまま矢の向きに離せると中りは取れます。そのため、外れても的の幅に入れる事は高さを揃えるよりも先と思っています。外れ矢が全て的の上や、下なら中りも遠くは無く、例え左右に外れても矢が向いていれば引き分け方を修正すれば済むでしょう。

 但し、狙いより矢が前や後ろに飛んで中りを取ると、先々で不具合が出て来そうですね。人と同じような弓力で人よりも上を向いているにもかかわらず届かないのも問題でしょう。

 ここで登場するのは「人情」です。自分では余り意識のないままに、狙いを狂わせていきます。前に付く矢が多いと知らず知らず後ろに狙いが逃げて行きます。届かない事が続くとまた段々に狙いが上がったり、押手を振り上げたりしてしまいます。これは「人情」だと思っています。運動神経の良い器用な人ほど感覚的に修正出来てしまうので厄介です。狙い通りに矢を飛ばす事を前提に、我慢をするべきでしょう。

 そう言う「癖中り」に陥らない様に少し気持ちを落ち着けましょう。真っ直ぐ引いて真っ直ぐ離す事がそれなりに弓を引ける所まで行った基準となるでしょうが、これは始めからぶれないで意識に置くものでしょう。

 「的は目に映す」とは「水平に矢を押し出す」とも関連する思いでは有りませんか?見ている所に矢を飛ばす技術を磨く事は、気持ちで的に矢を持っていくのでは無い様に思っています(^.^)意外に中ります。

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