mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

今までと違う手の内の見方

一つの提案が有ります。手の内の考え方についてですが、他にも色々応用がきくと思っています。

適当な例は思い浮かびませんが、取り敢えず「歩く」に絡めて進めます。

「腕を振って足を上げて」と何処かで聞いたようなフレーズですが、最小限で大まかに歩くを説明するとこんな感じでしょう。これが前回と同様に要約した表現とします。たかが歩くという動作ですが、無意識に連動する数多くの筋肉などを全て使って説明すると大変になると思っています。例え癖が有ったとしても皆さんが習慣的に動いている無意識な部分は身の回りにはたくさんあります。歩くにしても、左手を出す時右足を出して腰はこう膝はこう足首は〜なんて考えながら歩こうとしてもスムーズには歩けません。文字を書く時、箸を使う時などでも「今親指のここを使って次に中指は」などと考えながらだと一文字書くのも一口食べるにも時間ばかり掛かって仕方がないでしょう。こういう考え方で手の内を練習してもやはり時間ばかり掛かって仕方がないかもしれません。親指の姿や人差し指の姿または中指薬指小指それぞれの働き、手の平、手首と分解して考えるほど難しくなるのでは?と一度疑いましょう。始めた時に何も考えないで弓を握った状態を出発点として、その自分の形全体から足す引くを考える習慣を付けましょうという話しです。そこに逆らって形から入ってしまうと、まず癖を消す事に時間を費やします。

極論になり過ぎて申し訳無いですが、サバイバルするはめになった時には、弓道経験者なら弓を造って狩りをして食料を調達しようと考えると思います。竹を探し蔓草を探し木を削り狙って射掛けます。ちゃんとした道具など無いとしてもなんとか獲物を手に入れようとして必死になるでしょう。今は道具も進歩して専門家も居ます。狩猟時代よりも的中はかなり良いはずでしょう。私自身も林の中に入り、道具から作って獲物を手に入れられるかと言われても自信は全く無いです。道具も技術も習う環境も進歩しているが故に、熊ほどの大きい顔にも中らないという事が起きていると想像してみて下さい。基本でも表されている様に動くのは自分自身です。そもそも「矢を一杯に引き、狙って中てる」これが原点です。その為には頭でっかちにならず、細かい所に囚われないで思いっきり引いて充分狙って的に射掛ける事も試してみましょう。そうして今改善する事しないのどちらかを振り分けて練習してみましょう。

弓道は動きに複雑さはありません。単純動作を複雑にしない為には視点を変える事が必要だと言えるでしょう。そもそも手の内の最高を赤ちゃんが始めて立った時に物を握るその手としている考えも存在しています。赤ちゃんに角見や弓返りなど説明しても無駄になるでしょう。これを正しい考え方と言っている訳ではありません。時には基本に帰るよりも原点に帰る事も効果的だと言っています。

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