mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

手の内を掘り下げたい

何故「手の内十年」の様に時間が掛かると言われるのか考えてみますが、その道筋として仕組みにまず触れます。

今回の始めは私の知る「鵜の首」の三種類です。大三で腕と手首の状態を言う場合と押手の親指が上を向く場合と逆に下に向く場合です。

始めの手の内は押手を斜め上に向けて手の内を水平に構えた形を鵜の頭と首に例えた様です。鵜の首と表現するかは別にしても五重十文字の基本から考えて多くの引き手に受け入れられそうです。

次に斜面に多くみられると捉えていますが、水中から魚を呑んで水面に浮く鵜の様子から例えられたとすれば親指を反らす考え方も想像可能です。親指を反らさないで下に曲げた場合は鵜が潜ろうとして水面に頭を下げる様子で、最終的に求める力感の無い「赤子が初めて立つ時に物に掴まった無意識の形」を例えたと想像してみると、いずれも根拠が有りどれも間違って無いと感じます。但し、こうでないといけないと他を否定する事は出来ません。この三種類以外にもたくさんの選択肢があります。結局どうするか?は共通項を探して主観で進めてみます。

取り敢えず綿所はしっかり弓を受けましょう。親指がどうか、三指のどれを親指と対に考えるかなどの指使いは後にして人差し指の付け根や虎口、掌底の使い方が先です。そこから外竹左角と天文筋の関係を絡めます。それから弓になるべく触れない手の内、つまり指で握らなくても弓力を受けられる形を探ります。したがって左手首の角度、左肘、肩甲骨の位置が弓力の受け方を決めます。ここで弓力に負けなければ手の内が発展途上でも的中は取れるでしょう。

最終的に手の内の基準を決めるとすれば会と離れの一致です。一致して無い場合は会での弓力の受け方と離れでの反動力の受け方に違いが有る場合と離れで手の内を何かしてしまっていると考えて良いでしょう。

例えば押手の手首を離れで左に振る、曲げた親指を離れで伸ばす、下に向けた手首が離れで上に跳ねるなど色々考えられますが、残身で反省出来るでしょう。

弓構えで整えた手の内が引き分けから会へと段階的に出来上がり、会と残身で一致させるのが第一です。その為にしっかりした根拠が無いことを主観で簡単に試さない事ですべては始まります。

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