mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

身体の仕組みを使う部分について

肋骨の下部を少し持ち上げると腰骨が少し前傾し首筋が伸びるという人の元々持つ連動を紹介した事が有りますが、縦線の伸びはこれだけで充分です。胴造りをこれだけに絞って実践しています。学生時代はどちらかと言えば「ひさこ腹」に近く骨盤を立てて固めていましたが、それはたぶん練習中に先輩から前に後ろに腰を押されるので、それに対する方策として考えていた事です。力には力で対抗するという単純思考でした。腰を立てる時には足の膝から上をお尻を締める方向に膝から下を逆に回して一本にならない様に考えていました。これは押手にも飛び火しています。手首と肩甲骨は立て肘は逆に回転して入れる様に考えていました。棒押しが何か考えていた時期の事でも有りますが、押手に関しては現在進行形です。現在の胴造りは独立して固めると言うよりも弓を利用して弓とのバランスで安定させる方向に変わり、出来るだけ力を抜いても真っ直ぐに立って動かない感じを目指しています。先輩から前に後ろに腰を押されていた時期は実際に弓を持つ前の事なので、胴造り自体に強さを求めていました。段々弓道の知識が深まっていくといらない力を抜く事が最終的な目標になってきたからです。

余談になるかもしれませんが、重いものを持ち上げる時に「よっこいしょ」などと声を掛ける事には意味が有って、掛け声に身体の準備がされるという動画を見た経験が有ります。実際に深層筋が掛け声にあわせて動いていました。これらはほんの一部でしょうが、元々備わっている仕組みが有るのなら使わないという選択はありません。自然体とはこういう仕組みにも関係有りそうです。

息に関してもそうです。深呼吸や深い息に依って良くなる事はたくさん有るでしょう。わざとでも構いません。ゆっくり息をする、目をうろうろ動かさない等と気を付けることで我に帰れる場面も有ると思います。「リズム」が良い事もそうです。一定のリズムで歩いたり、弓を引いたりする事でかなり安定してくる事も想像可能です。自分の姿を客観的に見れる事は大きな技術でしょう。一目を気にする事と自分を客観的に見れる事は全く違う状態です。

「調身調息調心」です。身を調え息を調えれば心が調います。技術に偏る練習よりも意外に効果は高いでしょう。

「三位一体」の意味を時には想い身体の仕組みと弓と自分を重ねて行ければ現状を打開出来るかもしれません。

×

非ログインユーザーとして返信する