mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

的の大きさ

はっきりした数字は覚えてないので興味の有る方は調べて下さい。尺二寸の的枠に矢を詰めたら何本入るか?という結果を見た覚えが有ります。千本は超えていたと記憶しています。というか、何に載っていたか手元に有る弓道書を見直してみると弓道読本に有りました。矢の直径を8㍉で計算すると1743本という事でした。改めて記憶は曖昧だと自覚しています。思い込みの事は他にも結構多いかもしれません。筈打ちは幾度か有りますが継ぎ矢は高校生の時に一度しか経験していません。足踏みが正確で矢が的に向いている前提だとすれば、的芯ばかりに飛ばす事は至難の技ですが、表面主義の的中なら思う以上に的には余裕が有るような気もします。弓道読本の120ページに計算式が載っていますが、同じページに自分の支持してきた内容も載っていたので紹介します。

「当たりの強い人に矢摺藤のどの辺りに的を付けているかと尋ねると、正確に返事の出来ない人が多い。それでいて的に向かうと同じような所に正確に当てている。ということは、的付けに強く神経を使わず、矢摺藤のどの辺りか定かでないのを気に止めないでも、自然に的に付くということであって、的は見てはいるが、とらわれてはいない証拠である。」

ここの部分の結びとして、「当たりについては、的付けにこだわるより、体勢の崩れの方にはるかに問題の多いことを知ってもらいたいと思う。」です。

足踏みが的に向いて身体が崩れなくて矢の向く方に飛ばせれば会に入った時に狙いは付いていて的付けに拘る必要は無いということでしょう。ニュアンスとして伝わると良いですが、技術で的に入れるのではなく、素直に離せば的に入るということです。皆さんご承知でしょうが、会で押手を動かして狙っても本来の狙いにはなりません。鏃を飛ばすのではなく長さのある矢を飛ばすからです。矢の向き自体を的に向けます。結局押手だけでは修正出来ません。アーチェリーと違って和弓は筈は頭の後ろです。手の内や押手や勝手の離れで中りを取ることは返って難しいかもしれません。

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