mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

前回に腕や顔を払う事に触れましたが

手の内の負け感はかなり早気に関係が深いと思っています。八節を通じて手の内への意識は高い場合が多いでしょう。私の周りでも手の内の話題は頻繁に聞こえてきます。技術の不具合が精神に及ぼす影響は大きいと思っていますが技術の不具合と言っても誰もが一度は通る道なら練習を続ける以上は覚悟する問題で避ける事が出来ない事もあります。手の内に豆が出来る事もそうですが、嫌がって押手弽を安易にすると楽だとしても対処方としてはお勧めしません。高校生の時に親指の握りに接する部分の皮が剥けて痛い思いをしてましたが、そこを握りに触れさせない工夫というか感覚が手の内の向上に役立ったのかもしれません。いずれ皮が固くなって治ると言われた事は今では少し疑問です(^^;

全体的に勝手の不安感よりも手の内や押手の不安感の方が早気になりやすいと思っていますがどうでしょうか?何も弓道を知らない人のイメージは、「弓を左手で持って右手で引く」と思われているでしょう。したがって、初心の頃はそのイメージで引く人は多いと思っています。その頃に押手の伸びや押手で弓を押す事や肩甲骨の使い方など言われて、押手中心の指導に偏ると理解し難い状況が生まれても仕方ないと思います。始めは右手で引いてから左右均等を意識して手の内を磨いていくという道筋が順路だと思っています。右手が強い事で手の内が力み豆を作る事はある意味正道です。つまり初心者に押手や手の内を重視する意識で弓を引かせると、引き尺も伸びず手先の離れになりただ持つ会になりやすいと考えられます。この状態で中りが続けば当然早気に陥るでしょう。本来の引き分けるイメージはなく取り敢えず会に引き口割りを合わせ狙って離す事を繰り返せば中り以外の充実感はありません。会で何も思わずに狙って離すなら会も持つ必要性は無いでしょう。早気の捕捉で腕などを払う事に触れた理由ですが、結局早気が難しいのは楽しても早気、辛くても早気という原因に方向性が無い事が浮かびます。大三で手の内の当て方を検討する時に始めは力みから弓力をかなり感じるので不安感は出てくるかもしれません。ここは注意すべきです。けれども痛みを嫌う事と手の内への圧迫感を比べてみれば、後々の事も含めてより悪い印象を精神に与える方は「痛み」でしょう。もし痛みの恐怖から早く離したいと思うとすれば後遺症は深刻かもしれません。結局は痛みを我慢するよりも手の内の力みに依る負け感を我慢する方を選択する為に「払う恐怖」は即座に解消したいと感じています。

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