mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

働きから見た手の内

手の内の一番重要な働きは何だろう?と考えてみました。

的中の為とするなら間接的な結果にする方が現代の流れかもしれませんね。元々中らない弓は意味をなさない事は武器としての一面です。しかし正射が必中なら的中は外せない要素となるでしょう。しかし力で引かないとは言え年齢的に限界は来ると考えられますが、弓力を調整して合う弓を探せば引き続ける事は可能です。そもそも自分が引けるぎりぎりの弓を引くとなっているので、弓力を落とすことに問題はありません。その時に本当の冴えが見られるように若い間に修練を積む事になります。冴えとして間違いという表現は不適切かもしれませんが、若さに任せて力を頼りに引いてどーんと離せば若者受けするでしょうが、いずれは続かなくなります。しかしどーんと離れてぱしっと中ればそれなりに観る人は感じる物があるかもしれません。

若い間は手の内を的中の為に磨く事は通る道として一概に駄目とは言えないでしょう。高校時代は長くても三年間には足りません。大学時代に続いても延べ五年強位でしょう。手の内十年とか偉い先生に言われてもぴんとはこないのは時間が足りないからとも言えます。事実自分もそうだった様に思います。

こちらでは団体戦で三人立ちで複数チームの試合が増えています。全国の五人立ちや大学生の六人立ちと試合に出れる機会も多いでしょう。学生さんはやはり試合で結果を残したいと思う事は人情として充分に理解出来ます。

的中する事は広い意味でも何処かに良い所があると考えられるでしょう。全員が昇段を望むまでは意識していない場合も多いでしょう。高校から大学に引き続ける事も解りません。矢数を掛ければある程度の的中は手に入ると思います。ただし早くに矢数を掛ければ悪癖が付いてしまう可能性は拭えません。一般になって再開すると自分が苦労した癖の直しから手を付ける人がほとんどだと感じています。しかしほとんどがそうだと感じるなら一般的な経験とも言えます。癖が付く付かないの境目が何か?と考えてみると手の内の働きは見えると考えます。やはり始めは中りありきでも構わないと思います。一生懸命考えて試した経験は無駄にはなりません。間違いでも良いので自分が「こうだ」と思う理論を展開して下さい。間違いだと気付く事も進歩には必要な要素ですね。壁に当たらず順調に進めた方が一旦狂うと立ち直りが難しい事もあり得るでしょう。

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