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未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

現代弓道の難しさと易しさについて

射法の前文に的は「不動にして不惑」という部分が書かれています。吉見順正は江戸時代初期の人ですが、射る相手が人や獲物ならば動く事が予想出来ます。泰平の世の中に入ったか或いは武器としての主流が鉄砲などの火薬を使う飛び道具となったかの影響も有るでしょうが、修練では動かない的を射る事が普通になってきた頃と受け取れます。いわゆる流鏑馬も狩りの時に行う射術となった感覚で個人的には捉えています。

この事で精神的な要素が多く求められる現代となったでしょう。射技は動かない的を射る事で的中自体は易しくなったと言えます。射技は易しくなったにも関わらず、精神的要素が増えると俄然難しくなった感じがします。まず「人は考える」事「知識が多くなった」事「美しい技が正しい」とされている事が影響していると思われます。

「例え的を外しても命まで取られる事は無い」と緊張した学生さんなどに言った事も有りますが、緊張を受け入れる事が出来なければ何事も極める事は難しいでしょう。不要な知識は雑念だと言って来ましたが、知識の選別も重要です。

実際に色々な書物や指導などで弓道の所作自体は単純である事が明らかです。

弓を利用して矢を飛ばし動かない的を射るという原点を充分に意識する事を推奨します。外した原因を残心で反省するとしても、他所に気を取られて集中力が欠けていた結果の外れが一番勿体無いと思っています。試合に出れる段階の引き手ならば全く中った経験が無いとは考えにくいです。中り外れの差を技だけの未熟さにしないで気持ちの持ち方を検討して下さい。

動作は単純なのに色々考えて色々してしまう事による外れ矢を無くしていきましょう。自信の有る落ち着いた射と所作が結果的に美しい物です。「正しい」も時代や人により違いが有る事も意識して下さい。昔正しく今は変わった事もたくさん有るでしょう。昔が駄目だと言っているのではなく、今の自分の選択で思いのままに自分に相応しい弓道を展開して欲しいと思っています。技術が同程度なら最後は気持ちの差が出る局面は多く有るでしょう。私の今までの経験上で、淡々と自分の弓を集中して引いた時の結果が良かったように思っています。「終わってみたら勝っていた」という心境には度々はなれませんが、確かに勝つ事への集中よりも引く事への集中が出来ている方が良いと思っています。

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