mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

中ると言う事

「正射必中」はひとまず置いて下さい。中りは自分の中に有ると考えてみて下さいという事で進めてみます。

「中る感覚」「中る或いは中った時の脳の記憶」はかなり重要で無視出来ないな要素です。大半はその感覚を求めているか、記憶を辿ってそれを元に引いている場合かはかなり多いでしょう。これは両刃の剣で良くも悪くも両方に働きます。ずっと前に挙げた「自分の中りを見失うと何年も掛かるし、深く考えずに弓力を上げると何千何万と矢数を掛けないと元の通りには引けない」という先輩に言われた事ですが、若さに任せて力で強い弓を引いても一般的に良い癖は付きにくいでしょう。

ある程度引けてきて、中りが取れてきている段階だと、「自分の中り」は大切にしたい所です。まずはこの中るという感覚が無いと的中は安定しませんが、以前の中りにすがっても上達には差し支えが出るとも言えます。両刃の剣というニュアンスはこうした事です。しかし、弓の本質は的に中るです。社会人が週で1日2日道場に行って練習すると、一手で1本中て続ける事は難しくても、二手で射位に立てば半矢は保てる様に練習する事は最低限考えなければいけないと思っています。きちんと思い通りに引けた時に外れると迷うばかりです。「綺麗に引いているね」と言われても中らない間は悩みが耐えません。中れば良いのでは無いと言われても中る方が良いのは明白な事でしょう。経験の浅いと自分が思っているなら、矢が中る事を取り敢えず目指して下さい。中りが取れている時の修正はストレスが軽いですが、中らない時に修正する時のストレスは重いでしょう。ストレスを抱えたままの伸び合いは無理な相談です。詰め合いで力まない事も難しいでしょう。

大三で矢が水平かつ身体と平行なら必ず中る様になると学生の試合で話された教士の方がいましたが、これはかなり信憑性が高いです。色々考えて色々している時の身体の状態は崩れている場合が多くなります。

快心の矢は年に何本も有りません。中ってもどこか納得いかないのが普通です。かと言って射位で中っても頭を傾げている事は止めて、中りに関係無く堂々と残身を執り弓を倒して下さい。これを続ける事で中りが増えるならこんなに楽はないと思います。全て同じリスムで引いても中り外れは出ますが、同じリスムで引けないなら安定する事も難しいでしょう。

自分の中りは大切にして下さい。

×

非ログインユーザーとして返信する