mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

引き付けと会の関係は結局自然体

江戸時代よりも前かと思っていますが、矢の高さを肩の高さまで低くに引いていた時が有ったようです。今考えるとどう狙っていたのか?不思議です。感覚的な狙い方だったのでしょうか。今の矢擦り籐の高さよりも狙いは高かったかもしれません。現在の口割りはそこより下げない最低線と明記されています。口の辺りとなった理由に昔は低かった事が関係してるかもと想像しています。

今は会を形から入って学ぶ出発なので、口割りまで引き分ける事が普通になっていますが、真っ直ぐ(基本の通りに)引けば会に至ると考える事も可能です。同じ事と思えるかもしれませんが、会まで引く事とは微妙な違いを感じています。引き付けを早くしたり身体や顔で矢を迎えに行ったりする場合は今更ながら「会は無限の引き分け」で動く矢筋を意識しながら弓と弦を押し続ける事を意識してみたらどうでしょうか?

「横に引けば寄せなくても矢は自然と寄って来る」「腕の長さや骨格を使って弓を引く」こんな感覚も大切な要素だと思われます。左右の均等が取れれば無駄な力みも取れるでしょう。的中主義に傾き過ぎると会に早く納めたくなるものですが、動作が単純だからこそ打ち起こしと大三(正面打ち起こしなら)までを大切にしたいと思っています。引き分けの後半は打ち起こしや大三で整えた通りの道筋で引きましょう。詰め合いは伸び合う為の確認です。

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