mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

しばらくは手の内にします。

再びの確認ですが、手の内十年と難解な技術とすれば学生時代に会得する事は難しいと考えられます。しかし学生さんで的中の良い引き手は少なくありません。矢数の違いは無関係とは言えませんが。従って矢飛びなど冴えと言われる事部分を無視すれば中りを得る事自体は可能だと思えます。これを前提として進めてみましょう。

足踏みがきちんと出来て、真っ直ぐ立てて、三重十文字が乱れずに、それを基準に矢を動かせる事が出来たら、取り敢えず的には飛ぶと考えますが、もちろん手の内の最低限の基本を意識する事は無視できません。私の地元の道場は射位で足が滑りやすく、少し狭める場合も有ります。以前高校生の女子で個人で全国に行った子が居ました。その子は会で足がずるっと広がるのを見た事が有ります。唯一彼女だけの経験です。胴造りが正しく出来ているかは別に考えても、詰め合いで足を意識出来ている事は素晴らしいと今でも思っています。

基本の練習は結果が直ぐに出るわけでは無いので、意識の集中は難しいかも知れませんが、例え1〜2年の経験者でも愚鈍にこつこつ続ける事で必ず成果は発揮されると思います。ゴム弓や素引き巻藁を常に行い、足踏みや胴造りを軽視しなければ成果を期待出来ます。

教士の先生で「ある程度の段も得たなら巻藁引かなくても良い。素人じゃあるまいし。」と言われた方がいらっしゃいました。確かにその日の一本目から最高の矢を飛ばすべきで、一本目のパフォーマンスが一番良くないと駄目という意味合いが有ったようにも受け止めていますが、三段、四段程度と教士では事情も違うでしょう。結構真に受けて一生懸命的前に立って射るだけの人も増えてきた様に感じています。個人的には的前で修正は難しいと思っているし、中り外れに一喜一憂するだけになりそうです。目に見えない地道な努力をすることよりも、的前のみで修正する事や的に囚われない事の方がはるかに難しいと思います。

単純に考えてどちらかと言えば、中り外れを繰り返すよりも、始めに時間は掛かっても中り出すと安定している方が良いと思います。

どこか良い所が有るからこそ中ると考えられますが、簡単に中る事を考えて練習すれば失う物も多いでしょう。

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