mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

射法訓

射法訓の書き出しは「抑々」です。射法訓を読むまでそもそもこの熟語を「そもそも」と読むとは知りませんでした。そもそもの書き出しから弓道は本来こうした物だ結局こうだと表した意図を感じますがどうでしょうか?

心身も的も不動だと始まります。心身も身心では無く心が先なのも個人的には好きな表現です。

次に動作の単純さが書かれています。軽く引いても出た離れは鋭いという感覚で捉えています。

的芯(正鵠)を射ることは難しく、朝出来たとしても夕方には外れる。これは道具のせいではなく自分に原因を見つけよと進みます。

道場に有る射法訓の冒頭は元の文章とは違い「正技」が正しい表現です。射技については色々な考え方が存在しますが、正しい技はこうだと表して終わります。「正しい」には考え方で選択肢は一つでは無いでしょう。したがって、正技という言葉は避けられたのかもしれません。最後に五輪砕きの五番目で締め括られています。個人的には五輪砕きはそれぞれ五つが合わさると思っていますが、代表させて離れの部分を選んだのかもしれません。弓道を始めた時または私の様な段階だと二番目の水体黒色北円形への部分が主要な意識だと感じられます。

以前にパソコンをずっと使い続けるとパグ(ゴミ)のような物が溜まり、捨てなければいけないと例えた事が有ります。弓道の練習でも知識が増えると要不要の選択をするほうが良いと思います。そこで、弓を引くという行為が抑々どうなんだと考える事が必要ですね。

×

非ログインユーザーとして返信する