mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

弓道の手の内を内圧から考えると

肩周りのゼロポジションが肩線に対して脇正面に35度上に45度ほど腕を伸ばした状態の話しをしてきましたのでその補足をします。

手の内の良し悪しを無視して、そのまま弓を握ると腕と弦の角度が一拳程度になります。それを会まで保てば会でも弦は腕から一拳離れようと圧が掛かった状態です。弦は通常では弓の中心に戻ろうとしますが、この一拳の圧が残っている事で、離れで弦溝から脇正面に出ようとします。この微妙なテンションで頬付けしても髪は払いませんし、弦溝と中仕掛けがマッチしていれば、いずれは自然な離れに近づけると思われます。

このテンションは手の内の内圧で、弦を引くだけで角見側に弓は回ろうとしますので、その時の弓の回転力に負けなければ「角見が効いている」と言えます。結局角見は能動的に効かすというよりもきちんと受けた状態です。つまり弓力とのバランスの問題であって、単純に弓を捻るとはなりません。上手くバランスが取れると、離れで手首が振られることも無いでしょう。では手首の上下の振れはどうかと言えば、和弓の長さから握りよりも下を強く打ってあるので、下弦を取る程度と中押しや上押しのバランスです。したがって上下の振れについても故意的な手首の使い方は無く、残心(身)での弓の姿は安定します。つまり自分の引く弓の特性に合わせて手の内や引き分けを馴染ませれば良いでしょう。

手の内の良し悪しは別にして進めてきましたが、弓をきちんと持つ事への捉え方で力みの加減が決まります。無力では引けませんが不要な力も要りません。力まないという言葉は、要らない力まで加えるなという事です。会の状態を上手く造れれば、確認だけでそのまま離れに向かいます。結局離れでの矢所の散らばりは離れで力を加えたり抜いたりすることに依る不安定さと言えるでしょう。これは会でも同じことです。詰合いは修整ではなく引き分けた意図の延長で、引かぬ矢束が外見上の引きではなく内面だと理解できれば、手の内も外見に現れることは無いと考えられるでしょう。

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