mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

射法八節の図に沿って9

ひとまずここまでの個人的見解(特に大袈裟に言うと)を挙げてみます。

足踏みの広さ、角度は個人差が有るので矢尺も息のリズムも違います。そうなれば行射の長さに違いが出るので会の長さも違うでしょう。団体戦でも個人戦でも個人差が有っても、それぞれが自分のリズムを一定にしたほうがまとまりやすいですね。初心者の段階のみある程度は動作の長さを統一出来ると言っても、個人差は自らが認める事で楽になっていくでしょう。「こうでなければ」はほどほどに。一般的に良いとされる射を目指すのか、自分の射を確立させるのか決めてみてはどうでしょう。

私は立ち姿が前後に弱いので足踏みの角度は狭めです。打ち起こしは出来るだけ高くと思っています。押手の肩は意識的に下げて勝手の肩を上に伸ばす感覚で大三に向かいます。元々押手の肘は立てる様にしてきましたが、現在では自然に任せてます。離れで肘が弛む事を気にしての結果です。どちらかと言うと勝手の肘が離れで落ちる傾向があります。なので勝手の尺骨を矢筋に張るように会で意識します。なので勝手の手首は撓屈する様にしています。昔は弽の親指が脇正面に見えていたので、出来るだけ覗かない様にしていますが、きちんと親指に中指を掛けた方が引き分けと中りは安定すると感じています。大三に移るときの右肘は張るというよりも、腕の内転が崩れない方に気をつけてます。どちらかと言うと打ち起こしで肘は楽にして、引き分けに入る時に内転を利用して少し寄せ気味にしています。が、射法八節の図に合わせて右肘はなるべく動かさない方向に考えています。その是非は現在判断出来ません。「押し開く」は勝手に強さがあるからこその感覚だと思います。その加減で会の力味が決まると考えています。現状の会は矢尺が矢束よりも長くなっていると思いますが、これも「大きく引く」を勘違いしている結果かもしれません。但し、いずれ引けなくなると思っているので引ける間は引こうと思います。これも悪癖の一つかもしれません。基準は会で右肘が弛むかどうかです。私の現状の利点は会と離れで手の内がほとんど変わらない事です。このお陰でほぼ矢の向きに翔ばせます。これは引き分けや離れの不安定な場面でもずいぶん助けられてきました。取り敢えず的中を望むなら、押手は振らず手の内も振らないで、弓返りを一定にするほうが良いでしょう。

私は冬眠して寒い時期はほとんど引きません。矢数も掛ける方では無いと思っています。それでも最低限7割以上の的中が出るように射は考えています。練習量が自信に出来る時期は体力的に過ぎているので、中てる練習はなるべくしない工夫を常に考えています。一度身体に覚えた事は常に発揮出来る状態を保つ事が目標です。

綺麗にきちんと引けていなくても、緊張していても、離れと押手は考えないで出す習慣は重要だと思います。「真っ直ぐ立って真っ直ぐ引く」に真っ直ぐ離れるを加える事で的中は上がると考えています。したがって、いざ打ち起こしたら、あまり考える事なく残心(身)まで行こうという感じですね。勿論、射の伸び代があまり残されていないからですが。以前も挙げましたが、約三十年のブランクが有っての再開でした。その時に昔を知る人に「変わらんね」と言われてしまいました。自分では再開した時に悪癖を無くし基本に沿って練習していたつもりだったので、ショックを受けた事を覚えています。その時から、自分の射を確立する方向に意識を変えた次第です。「少しずつ直す」は結果を得られません。今の射を磨くが正解と考えています。

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