mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

手の内と狙い

人の感覚で最も優れているのが視覚という事らしいです。約70%これは大人の状態です。生まれた時から比べると本能的な感覚は少し減るらしいので、大人が感じ無い事を子供が感じる事は不思議では無いかもしれません。目で見て脳が整理をして記憶していくので、看取り稽古が全く無駄とは言えません。ただ、脳は今までの経験から類推する事も多いので錯覚もします。

私は幅が25㍉の木っ端で手の内の練習をしたりしますが、標準的な弓の幅が25㍉で、右目の中心から頬付けを水平距離で照らし合わせた長さがおよそその位と思っているからです。

正確な記憶とは言えませんが、竹弓は幅で強さの基準が有ると聞いています。そのために幅で弓を区別していたとも聞いています。厚みも同じです。強いほど握りが太くなるのは理屈的に辻褄が合っていると思います。

右目で弓を透して的の狙いが決まるので、弓の姿勢と物見の安定は狙いに大切だという事が主旨の1つです。単純に考えると、引き尺よりも弓と筈の位置が狙いに影響が大きくなると思います。勝手が弛んだり突いたりする勝手は筈が矢筋を動く場合は中りに影響しません。勿論他の条件は無視した場合ですが。

足踏みが的に向いて狙いが第一から第四まで素直に動き、矢が足踏みと平行ならば会の狙いは付いた状態に引けるでしょう。したがって、足踏みは的の正面に立つ事よりも的と左足親指先と的を結んだ線の延長に出せる事が正しく足踏みを練習する考え方です。これは教本の通りなので問題は無いと思います。闇夜の矩などもこの感覚でしょう。

四巻の書を見てみると、「反り橋」という引き方の表現が出ていますが、勝手ばかりでなく手の内の動きも同じと書かれているので深い理解が必要ですね。のの字に引くなんていう概念も有りますが、勝手だけを考えても本質的には上手くいかないと思います。常に打ち起こしから矢を平行に動かせれば、狙いへの不安はほとんど小さい問題に出来ます。大三で右肘を張る(?)事ばかり考えて、弽が額に寄り過ぎたり、矢が前に向いたりすると、本質的には引きにくくなるのが自然です。

射法八節の図を見てみると、大三では右肘よりも左肘は身体に近く、右肩も肘を伸長させて下弦を取る様に描かれているので、取り敢えずその通りに引くことから始めましょう。射が崩れたり、修整したいと思う場合は尚更です。足踏みと矢を基準に身体を動かす事は最も簡単でほとんどの人に共通ですね。この辺りを無視して自己流で引くと違う問題が起きるでしょう。あくまでも基準です。基準に沿った上で自分なりに調整する事は誤っていません。基準とはそうゆうニュアンスだと思って下さい。始めに射法八節に沿って習ったなら、練習の灰汁を落とすためにも出発点を意識しましょう。そうすれば、どこが変わってきたかも理解が簡単になると思います。

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