mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

練習の方向

まずは練習方法です。日常生活でも同じ事でしょうが、効率良く成果を上げる様に考えて物事に当たります。これは楽して近道をとは違います。一生懸命努力しているのに思うように成果が上がらない時には方法を変えるべきでしょう。「一生懸命にやっているのに中々思うように出来なくて」と悩む人はあっさり今までと違う事を試してください。違った事をするには勇気がいるし、良いかどうかも悩んでしまいそうですが、経験値を増やしましょう。「近道は無く懸命に努力すべき」というのが自己満足に終わらないようにして欲しいです。正直に言ってここにいる人が結構多くいると思っています。「ここを直したい、あそこを直したい」と言っているのにいつもと同じように引いてしまっている・・・
 このことを踏まえて本題に移ります。私自身も変わった考え方だと思っているし、言葉では伝わりにくいとも思っていますがイメージで捉えてください。
練習の方向は一言で言うと「元に戻す」です。「はぁー?」と思ったでしょう(^^)これには二つあります。一つは、おぎゃぁと生まれてから今までの年数を掛けて身に付けてきた身体の使い方の癖です。誰しも必ず身に付けています。立ち姿、歩き方、物を持つ時の動作、力を入れる仕方など行動の全てと言って良いでしょう。それを自分の本来あるべき形に戻す事です。もう一つは、弓を引いてきた期間によって身に付けてきた考え方や行動の癖です。灰汁と言っても良いでしょう。一つの事をずっと守ってすることの良し悪しではなく、例え今やろうとしていることが正しくても、考え方や体の動かし方は偏らない方が良いと思っています。ともすれば正しい事も時代によっては変わっていくでしょう。「こうじゃないといけない、これは白、これは黒」とこだわってしまう事の危険を思っているのです。「弓を引く時の自分に合った姿勢はこうだろう。引き方はこうだろう。人間の正しい骨格の姿、関節や筋肉は本来の使い方はこうじゃないか」と立ち戻る事が必要です。ひかがみを伸ばす、詰め合い伸び合い、手の内、取懸け、胴造り、打ち起こしや角見、的中、押手の肘・肩、色々な技術が解ってくると、人間本来の自然体や体の動かし方に反していないか?を基準に見直す事が「元に戻す」です。安定した射を望むなら偏った方法では無く、柔軟に構えたいという意味合いです。自分が目にする一つの例を挙げると、正面打ち起こしの大三で手の内主体となって気づかないうちに左肩を出してしまっていたり、顎を上げて首が後ろに退けた人見かけませんか?射法の基本はそういうことをさせないように表してあると思っています。手の内が未熟でも力みがあっても、体と矢が一致して正しい方向に向いていれば的中は得られるはずです。要はどちらが先かです。骨格の違いはあっても不自然に立ったり、体を捻ったりして引くのは最終手段でしょう。

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