mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

弓道の練習で起こる疑問

引き分けも会も安定して的中が取れる状態で審査を受ければ三~四段位は合格しても、五段を受審してみると、「冴え」が無いとか練習に困る様な指摘が出てきます。有る程度は自信を持って皆さん受審されるでしょうが、束中しても「良く中たるね」で不合格になる場合はどう対処して練習しますか?三段、四段を合格してから射を1から見直す人はほとんど居ないでしょう。個人的な印象ですが、かなり厳しい選択をする事になります。前にお話ししたように、練士五段位に基本に沿った引き方を身に付くと考えていくなら、基本の引き方が出来ていないと判断された事になります。的中至上主義になってはいけないと教本には書いて有りますが、非常に難題ですね。四段の合否基準が的中確実な域に達した者と有れば、当然外さない前提が四段の条件です。つまり矢が外れない技術を持ち、尚且つ射法八節にしたがって引けて、冴えた離れが出せるなら、もう人がどうとか試合で勝った負けたとか関係なくなって、粛々と自己鍛錬する道になると思います。つくづく自分の未熟差を痛感します。矢数を掛けて練習すればそれなりの的中数は得られますが、やはり射法に則った練習を初心から心掛けて、地道にやって行かなければ限界は来ると思われます。私のように一度挫折して再開した人間は経験が自分を鍛えてくれます。弓道を考える上では有利に思いますが、実践となると癖が邪魔をします。

その状態での大切にしたい事を挙げてみます。「弓力を受ける」が結果的に「押す」事になるという考えです。今までにも同じ意味の事を繰り返して来ましたが、やはり色々考える中でいつもここを通ります。弓道の主たる概念に左右均等が有ります。この事を実践しようと模索していても、やはり弓力を「受ける」状態を基準に考えてしまうので、手の内などの技術にしても、胴造りなどの基礎にしてもずっと以前に挙げた「受動筋力」に結局戻ってきたのが現状です。

例えば「立っている時」当然重力に対抗して身体は無意識に動いている部分有りますが、ほぼ無意識です。意図的に姿勢に目を向けてない限り無意識な状態でしょう。幼い頃に立ち上がってからは経験した事が習慣になって、反射的に身体は動きます。躓いて倒れそうになった時には重心が移動した方向に足が出ますが意識的に出している事は無いでしょう。無心という事は簡単には語れませんが、身体の反射が使えれば少なくとも意識的な動作にはならないと思います。

離れで勝手を伸ばせば取懸けは外れる状態には案外早く辿り着けるかもしれません。手先の操作は意識しなくても起これば楽(?)ですね。暴発した時的中は取れても弓返りの精度は落ちます。これは意図しない離れに手の内が反応してないと考えられるので、離れで何かしら手の内を操作していると思います。弓返りが弓の特性として自然に起こるなら私の今の状態は意図的に弓返りをさせている事になります。そこで会で暴発した時にも変わらない残身を目指す様に考えていこうと思います。しかし暴発は無意識なので練習は出来ません。したがって、取り敢えずは受動筋力にまた目を向けていこうと考えた次第です。左右均等に拘るなら力の配分よりも前に弓力を受ける状態での身体の反射を模索していこうと思います。

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