mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

「矢が中たる」について

中たる時期を経験した事は有りますか?何故か分からないけど中たるみたいな時です。先輩に弓力を上げた時は元の中りが出るまで数千本引かなきゃ戻らないと言われた事が有ります。その先輩は称号取得の審査練習をしていた時に自分の中たりがわからなくなって5〜6年取り戻すまで掛かったそうです。

強い弓を引ける様になれば、矢を飛ばす事は楽になります。弓力を上げたら力んで引くよりも、「今までよりも引けなくても前より良く飛ぶ」とイメージして下さい。弓を買う時には買う弓力の二張に肩入れさせてもらいます。例えば15㌔の弓力の弓なら30㌔が肩入れ出来る理屈です。始めは当たり前の考え方も経験を積めば思い出す事が減って来ます。矢も身長の半分を矢束として指4本程度足して買うでしょう。足踏みの広さは矢から指4本分引いた長さが基準です。鏡などで確認できるなら、矢束を引いているか引き過ぎていないか確認しましょう。足裏の角度も時には確認しましょう。

当分の間は「自分の中たり」を追求しても構わないでしょう。社会人ならせめて2本引いて1本は中てたいですね。問題は的中主義で射法でも戒められています。中たりは取りたいが「的に囚われて無い中たり」は容易く無いので悩む所ですが、「偏らなければ」という事が今回の主旨です。

「綺麗に」は引く側も見る側も基準は1つではありません。自分がこう引きたいという理想も人それぞれです。審査練習が主体でも試合が主体でも健康のためでも楽しむためでも全てに心の有り様は平均して引く方が最善だと思って下さい。身体を痛めてもだめだし、長く続けるには身体の仕組みに沿った方が良いでしょう。試合に勝つ為には調子の良い日がたまには必要です。昇段審査を受けるなら射法八節に沿った練習が必要です。全てを望んでも無理と思わずに全て同じ線上に有ると考えて平均して練習してみましょう。取り敢えずは100発100中を望んだりいきなり範士を目指したり極端に思わずに、自分の射をしましょう。近い目標と最終目標はどちらも必要です。何故か分からないけど中たる時は余り考えて無い時が多いと思っていますがどうでしょうか?今まで言ってきた通り、射位では考え過ぎ無い方が良さそうです。ゴム弓や巻藁前ではしっかりと目標を持って引きましょう。いくら射位で一生懸命練習しても、癖を固めるか的中に囚われるかのどちらかです。審査や試合ではほとんど的前で練習出来ません。日頃の練習と違う時点で既に不安は生まれます。ルーティンの様に同じパターンで練習してマンネリ化していると、状況が変わった時の対応がうまくいかないのは当然ですね。不安なく穏やかに引けるのはいつもの練習中だけです。つまり条件は皆同じという事を理解して下さい。たくさん巻藁を引けば不安が無くなるなら良いですが、そううまくいきません。気持ちの持ち様に気を配って下さい。

緊張も不安も全く感じ無い事が不動心とは違うと思います。それは思考停止状態でただ引いて矢を飛ばしてもいるので何も得られません。緊張を楽しみ不安を受け入れてから、そんな状態で自分がどうなるのか?を知ることが大切です。もし弓道が立禅とされるなら、在りのままを受け入れて引いてみましょう。緊張感は力を与えてくれます。不安感は成長に必要ですね。

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