mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

押手の押し方

押すという動作はイメージと感覚に差が出やすいので注意して下さい。当たり前ですが、腕も骨も伸びません。前鋸筋などの筋肉を使って伸ばしますが、大袈裟に言うと全身を伸ばす事が弓道には必要で、結局弓力との釣り合いが押すという事です。

そこでこれに関連して子供と大人の違いをイメージから説明します。

子供は細かい事は考えないで全身を投げ出したように眠る事ができます。どこにも凝りは無く少々姿勢が悪くても寝違いも起こさず熟睡します。枕の高さや身体の向きなど気にしません。

子供は辺り構わず思いっ切り泣ける事で次の瞬間に大笑いすることができます。

難しい事ですが、知識や意識に囚われずに、心も身体も自然体で無心に弓を引けると弓道には最強なのですが、大人になるにつれ色々な゙知識や経験が邪魔をして「無心に引く」という事はかなり難しくなっていきます。これはほとんどの人が同じ状況なので本来は気にしなくても大丈夫です。むしろ素直に引く事に集中する様に考えて下さい。緊張もそうです。緊張を抑えると試みる程に焦りも生まれて尚更緊張が高まる事も自然です。

「押す」という動作のイメージを改めて確認して下さい。ぎゅっと力が入る状態で押す事はできません。筋肉は伸び切っても縮んでも自然な状態とは言えないでしょう。骨格や関節も固めてもゆるゆるでもまずいです。「米一粒」のゆとりを持たすという表現が使われますが、関節の締め具合と捉えれば、自由に動かせるが弓力には負けない状態だと言えるでしょう。始めの間は、身体が弓力に負けない様に力むことで三重十文字が崩れるという結果になります。手の内で押す、腕で押す、肩で押す、身体で押すなどはどれも力みます。したがって「押す」という感覚は、弓力に負けずにしかも勝ち過ぎないで弓力とバランスが取れた状態だと思われます。

つまり、より小さい部分に集中した押すイメージは当然不具合が起きます。身体が力むよりも手の内が力む方が当然力みは取りにくいです。ましてや手の内の親指が力むと色々な゙問題が出ます。

膕(ひかがみ)を伸ばすにしても、弓力の掛からない状態からぎゅっと固めてしまえば結局下半身が使えません。自然体に固めるというイメージは無いと思っています。

高校時代に弓道を始めた頃、弓は持たないで胴造りをさせられて、先輩に前から後ろからと押されてきましたが、要はただ胴造りをしている時よりも弓を引いている時のほうが安定しているという事が本質的な胴造りだと考えています。弓力が身体に足された分程胴造りが段々と強くなっていく状況を造りましょう。この感覚が何となくでも想像出来ると胴造りは進歩するでしょう。

身体と同じ様に弓にも重心が有るので、重心を動かさないで引けると弓の姿勢は安定するでしょう。弓を横向きにして手に乗せてみると、だいたい目付け節辺りに重心が有ります。大三で目付け節辺りを押すという基本が、この重心に関係するとまでは言えませんが、全く無関係とも思われません。弓が前後左右に倒れれば当然重心は移動します。弓は握りが中心に無いことも上下の成りが違うことも踏まえてから押す方向や位置を検討してみてください。弓返りや残身の安定は手の内の効きよりも弓の姿勢が重要だと言えるでしょう。せっかく会も狙いも遜色無くても、肝心の弓が残る位置がばらつけば、当然矢所は乱れます。

特に離れは全身に意識を巡らした上で気になる箇所を修整しないと、全体のバランスを保つ事が難しくなります。タイミング離れはイメージが悪いかもしれませんが、左右が呼応してタイミングが合っていなければ的中は当然安定しないでしょう。要はタイミングだけの当て射が良く思われないだけで、どんな形にせよバランスとタイミングは必要です。

×

非ログインユーザーとして返信する