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未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

射法八節の図に沿って3

小笠原流が言う進む足は動画で見てもとても難しいです。皆さんは歩く時に膝を伸ばしていますか?曲げるとまでは言いませんが、私は少し曲げ気味です。日本人は元々膝を伸ばさない歩き方をしていたらしく、西洋文化の影響で(伸ばせ伸ばせと言われたらしい)伸ばす歩き方になったと聞いています。

前回の胴造りで、ひかがみを伸ばす記述に触れましたが、能の世界では、腰を安定させて跳ねたりする為に膝を曲げている様です。お相撲さんの摺り足みたいに足の裏は広げませんが、膝をピンと伸ばしたまま腰骨を揺らさないで動く事はかなり難しいです。まして上下の動きにはやはり曲げるのが自然でしょうか。

胴造りでも重心で立つ事は重要だと考えています。例えば日本の伝統建築の様に重い瓦などを上に乗せて、柱はというと石の上に乗せているだけみたいな建造物は珍しくありません。基礎など無くても倒れない工法で造られてます。別の例を挙げると、バットを手に立ててバランスを取る時には、ヘッドを上にするほうが重心を取りやすいです。

これらと弓道は直接結びつくとまでは言えません。ただ、木の様にある程度撓む方が対応力は高いかもしれません。受け流すと言うと確かに語弊が有るでしょう。横からの圧力、つまり水平力に対抗する方法は、固めるだけではないと考えています。弓は引き分けに入ると前に引っ張られだして会に近づくにしたがって水平方向から弓力が掛かります。肩に掛かる弓力は一定では無くて動くという事です。この為に固めることは対応力に欠けるのでは?と思われます。

胴造りを自然体と考えるなら、固めて動かされないと考えるよりも、外力に対して柔軟に対応出来る構えと考える方が無難だと感じています。

人は咄嗟に重心が移動した方に足を出して転ばないようにします。これは考えて行うと言うよりも反射的な動作と言えるでしょう。つまり、弓道をするにも運動神経は必要です。それは弓道に限らない物とも言えるでしょう。

単純な動作で弓は引いていますが、無意識レベルで身体の全体を使える様になる事は上達に不可欠です。

射法訓にも「その内包するところ三界に亘り」などと書かれています。つまりは「弓を引く」という直接動作を考えただけではままならないと思われます。結局胴造りが難しく感じるのは、動きがほとんど見えないからです。他の節とも共通して言えるのは、「止まっているように見えて実は止められない」という事の理解が弓道に必要だという事です。教歌に有る「引かぬ矢束」もそういう部類の概念でしょう。

結局のところ胴造りは対応力を残した構えと言えます。足の裏が床に吸い付く様にと言われて、足をいくら伸ばしても定まらないでしょう。自分の体重を足に伝えて両足に重心を乗せて立つ事から胴造りは発展させられると思います。そういうふうに丹田に気息を溜めていく事も言葉として置き換えれます。

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