mypace-mywayのブログ

未熟なりに弓道を考えて、わかりにくい事を単純にし、自分の頭の中を整理した道筋を残しながら、迷った時に戻って来る拠り所の場所を作ってみたい。「あの頃はあんな事を考えていたのか?」

手の内の要点を再び

まず形よりも効きでしょう。自分なりの理屈を持って練習して下さい。真っ直ぐ矢を飛ばすには力んでも大丈夫です。無駄に力む事が無ければ段々と形も良くなります。「無駄に力む事が無い手の内」は弓を引き続けていく上で会得します。とにかく柔らかく握るは基本として重要な゙事に間違いはありませんが、骨法や力で引かない事と同様に難しいのが現実だと思います。一番避けるべき手の内の悪癖は、力みが有ってしかも狙いよりも前に矢所が付く事です。そもそも手の内の技術は、右側に矢を番える和弓の特質に逆らって矢を向いた方向に飛ばす事なので、自然な流れとしては前上に矢所が集まる事から始まります。つまり矢が飛ばない(垜に届かない)、的よりも後ろばかり飛ぶなどは、弓の特性にも逆らい何か余分な゙事をしていると考えられます。始めての試合では履き矢よりも幕打ちが順当と考えます。極端ですが一つ前の的に中る、垜の上の板を射抜いた事から手の内の修練は始まるという事です。初心者用のネットに飛んだ、矢場の板を射抜いた、一つ前の的に中たったなどを恥ずかしいと思わなくても構いません。普通に練習すれば一ヶ月もすると無くなるでしょう。昇段審査で求められる始めの技術は矢所のまとまりです。的中が求められるのは段位、しかも三段辺りと思って練習する位で構いません。小細工して中りを取っても見透かされます。弓返りもそうですが、見るべき人の合否判断を甘く見てはいけませんね。唯一狙いは脇正面からは確認出来ません。これは自己責任です。中るからと後ろ狙いのままに引き続けると後々苦労しますよ。

そもそも狙いよりも前にしかも毎回同じ位置に飛ばす、あるいは逆に毎回同じ様に振り込む事は矢の向きのまま飛ばすよりも難しいかもしれません。その状態で基本の通りに引き分ける練習をする事に矛盾を感じませんか?安定して中りを取るには少し無理が有るかもしれません。振り込みが無くても離れによっては後ろに飛ぶ事は考えられますが、きちんと狙い通りに飛ぶ矢が中る事はまず意識すべきだと思います。独特な離れの引き手を時々見受けます(私は二段離れに成りがちです)が、確かに同じ様に離せれば中りは取れています。弦が出る瞬間さえ安定すると案外中る物だと思います。八節に統一される前は、七道(本多流でしたっけ)で残心(身)は未来身として八節目が無かった事も゙あるようですが、やはり残心(身)がぴたっと決まると美しく感じると思えます。「故意的に作る」残心(身)の良し悪しは置くとしても、綺麗な残身は目指す物でしょう。かく言う私も決まらない残心(身)に悩んでいます。残心(身)が射の結果としたら、まだまだ修行が足りませんね。

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